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未来の自分に手紙を書いたことはありますか?

はじめまして、琥珀(kohaku)です。

私はごく一般的な20代女性だ。
壮絶な壁を乗り越えた訳でもなく、人に誇れるような何かがある訳でも無い。しかし、そんな一般人の私でも人生のターニングポイントがあり、壁を乗り越えてきたわけだ。

「私は悲劇のヒロインではないけど、小さい悩みが沢山ある。」

目を背けていた悩みや、人に相談することでは無いけれどモヤモヤしている、そんな人が私のNoteを読んで何かヒントを得られれば良いと思い書くことに決めた。(日記の日もあると思うが。)

1. 目立つ事の代償

私は団体スポーツをかれこれ11年間程やってきた訳だが、12年目にして向いていない事に気が付いた。理由は簡単で、中学校・高校の全てフェーズでチーム崩壊を経験しているからだ。(しかも全て自分のせいで)

小学生の私は”超”が付く目立ちたがり屋で、音楽祭があれば指揮者をやり、運動会があれば応援団長をやり、学芸会では主人公じゃ無ければやりたくないと親に話し、当然のようにスポーツではキャプテンを担っていた。
そして超目立ちたがり屋のまま中学校に進学した。身長にも恵まれ、運動神経も人より良かったのも相まって、またチームのキャプテンを担うことになる。これが挫折のはじまりはじまり。


負けず嫌いの私はとにかく勝ちにこだわった。試合に負けてすぐにヘラヘラしてようものなら、「やる気が無いなら帰れ」と言わんばかりに圧をかけていた。そんなことを半年も続けていたら、まんまとハブになった。
二人一組のストレッチはいつも一人になるし、更衣室で誰も私に話しかける人は居なかったし、ありもしない男女関係の噂は流れるし、数少ないオフの日は私以外のみんなで予定を立てていた。
私は強がりなので泣かないし、寂しい素振りは見せないので、自分でも傷付いていないと思っていた。(下手な奴が僻んでいるぐらいに思っていた)
が、そんな自分をだますことが何日も続く訳が無い。とっくに精神状態が病んでいたのだ。

そして私はある日、大会の決勝戦を休んだ。この日に私の”超”が剥がれて目立ちたがり屋になった。

なにかの代表を担ったり、権力のある組織に所属することは華々しく見えるが実際は地獄が9割。何かにつけて文句を言う人間は一定数いるが、目立つ事でその数も比例する。目立つ事の代償は大きすぎる。
当時の私は考えもしなかったが、火の無い所に煙は立たんのだよ。口の悪い私へ対する少しの反感が、チームを崩壊させた経験だった。

2. 教科書の端っこに書いた日付

一匹狼のキャプテン生活は1年弱続いた。
今思い出しても、当時は消えたいほど辛かった。私はプライドが高かったし(今も高いかも知れないが)強がりだったので、そもそも“ハブにされていること”を周りに認知されるのが一番嫌だった。特に私は同学年に同じ地域から進学した人が1人しか居なかったので、

チームメイトからハブにされる=学校で友達ゼロ

の状態になり、本当に一人だったのだ。
強がって平気なフリをしているので、気を抜くと泣きそうになる。
(マジの負けず嫌いなので泣かなかったが。笑)
今でも鮮明に覚えているが、国語の授業中にまだ授業範囲ではない先のページを開いて、左下に○を書いた。このページを授業でやる頃には、上手くやれてると良いんだけどなぁと思いながら。

私が未来の自分に向けて手紙(?)を書いたのは後にも先にもこれだけだ。


3. 1年前の今日、どんな悩みがあったか覚えてる?

相変わらず教科書の端っこに○を書き、何度も○のページを授業中に迎え、
状況は変わらないなぁと思いながら過ごしていた。
そんな中、気が付いたらクラスも変わり環境も変わっていた。新しい友達もいて、チーム以外に居場所が出来た。部活以外の時間に部活以外の話をして、学生生活が部活だけではない事を知ったのもこの時期だった気がする。

かの有名な さかなクン (敬称略)が、身体の小さい魚がいじめられていても水槽が変わるとなくなったりするんだ と言っていたが、まさにその通りで違うコミュニティーで過ごしていたら、いつの間にかチームで私の話が通るようになっていた。
こんなにも簡単に戻るものなのか?はたまた違う環境に身を置いたことで私が丸くなったのか、要因は分からないが状況は誰が見ても良くなっていた。時間が解決するなんて、まったく誰が言ったんだ。私が転校でもしない限り何も変わる訳が無かろう。と思っていたが実際は時間が解決してくれたのだ。何がきっかけで状況が改善されたのかは今でも分からないが、ただ一つ当時のきっかけを挙げるならば、所属するコミュニティーは沢山あり、選択する自由があると知れたこと。

部活が全てなのか?
教室が全てなのか?
仕事が全てなのか?
家族が全てなのか?

そのたった一つのコミュニティーで、上手く過ごさなければいけないのか。
そんなことは全くない。人間関係に尽力して無理なら一回出ればいい。自分や共に多くの時間を過ごした人達からは逃げたと思われるかも知れないが、新しい環境の人はそんな事は知りもしない。今居るコミュニティーが全てではないのだ。

ずっと下書きのままにしていた記事を起こした今日、教科書の端っこに○を書いていたことを思い出した。
ああ、こんな悩みもあったなぁと。

今悩んでいる事も1年後には忘れているのだろう。
あなたは1年前の今日、何を悩んでいましたか?

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