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bookmark20号books and Wars/戦争を考える/フラッシュメモリー2022/07/03——01


デザイナーの机上に、[Bookmark]が置いてあった。
[Bookmark]は海外の翻訳作品の紹介冊子で…金原瑞人が個人で作っている(ようだ)。おまけにフリーペーパー!
冊子…つまり紙でできている。ネットでもできるのに紙。運営している金原瑞人に尊敬と、嫉妬と、羨望を…心から贈りたい。自分、技術もないくせにプロっぽい雑誌を作りたがる…。それでリトルマガジンを羨ましがる。よくない。
[Bookmark]は、今回緊急特集で…[戦争を考える]。29人の作家が、それぞれ作品をひとつ取り上げて、それにからめて戦争に関するエッセイが寄稿されている。作家によって、温度差もある、方向性も違う…だけど、だから、面白い。金原瑞人さんらしい。(そんなに知り合いじゃないけど…)作家たちが、それぞれ真面目に、戦争を語っている。町田康が暴力反対。「話し合いで解決しろ!」なんて言っている。
一時代前…時代を作った編集者たちは、編集を演劇の演出家のようにしてやってきた。そしてそれをどこか誇ってきた。切り口を見せる。何かの方針を打ち立てる。編集とはそういうものだと思っている。そして自分もできないなりに、編集ってそいうものだと考えていた。[Bookmark]は、金原さんのチョイス(確かめていないけど…きっとそうだと思う)が目立った手法で(頼みかたもあるだろうが…)選ばれた作家が、自由に書いている。その何となくの自由と多様性が素晴らしい。多様性は横にも拡がっているが、縦にもある…つまり深さの多様性も確保されている。金原さんの編集は、手の跡残さない、人と人との友達的関係だけが見えている。。

さて、戦争。ウクライナ戦争。僕は、平日の夜は、ほぼ毎日、BSのプライムニュースにかじりついている。報道はかなり刻々と戦場の武器配置とか、ミリタリーバランスについて、そしてプーチンの頭の中について詳しく伝えていく。NATOやEUのそれぞれの事情が国内状況も伝えられる。で、それだけ分かっていて、おおよそプーチンの独断で、プーチンが悪い、困ったやつだというところで、一致しても、何となく構造が見えているのに…戦争は止まらない。止めることができない。こんなに情報が明らかになっているのに止まらない。プーチン止められないなら、ヒットラーも止められない。日本軍も…。話し合いとか交渉では…止まらないと解説者が云う。なんとなく納得する。納得するけど、分からないことだらけだ。どうして止まらない。話し合いで止まった戦争は、過去にない。と、ゲストの高橋杉雄がすっと云う。そうなんだ。そうかもしれない…。ロシアの国民の支持が高いのも、プーチンの報道統制が利いているから…という説明が全体的にされているが…なにかそこには違和感がある。人を殺してはいけないということをこんなに大々的に無視している男が、何ヶ月にも渡って存在し続けているということが自体が良く分からない。戦争とロシアに対する認識がだいぶ習ってきたことと違うような気がする。
ちょっといろいろなことがあって、ゴーゴリーやドフトエフスキーを齧る(読んだとは言えない。分からないから…)機会があって…そこで出会ったのが、「全一性」という概念だ。たくさんの個がある全体が一つとして機能するということも含まれている。ゴーリキーには、一人称複数で書かれた小説がある。ロシア人は絶対的な君主主義のもとにあるからこそ、無限に自由なのである。その考えを少し理解しないとドフトエフスキーを理解できないと亀山郁夫が書いていた。亀山郁夫はマレーシア航空機がロシアによって撃墜されてウクライナに墜ちたのを目の当たりにして(亀山はロシアがおとしたと公言している)それでロシア文学を棄てようかと思ったと…で、ウクライナにおもむいて…という研究家だ。新古典文庫のドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の新訳が、超ベストセラーになって話題になった。その亀山郁夫の言葉を読みながら…思った。文学は戦争を止められないかも知れないが、文学を読まなければ戦争は分からない。ロシアは分からない。分からなければ、戦争を止めるなどということは不可能に近い。分かっても止められないのだから。プーチンは異星人だ…今回の戦争において。しかし宇宙人プーチンの欲動はロシアの大地と繋がっている…人と繋がっている。文学のインフラとも繋がっている。そしてロシア、ソ連の歴史とも繋がっている。いや自らを繋いでいるのかも…。武器の配置と地政学と、施政者を見るだけでは、戦争は終わらない。止められない。もともと止められないのかも知れないが、その前に、何故、止められないかを知らないと——。それには、文学は重要だ。文学には、特にロシア文学には、心の闇と光が「全一性」をもって描かれている。逆に云えば、プーチン一人——。は、プーチン一人ではないかもしれない。そんなことを考えて本を読んでいる。ウクライナに行ったこともない、知らない私には、文学が必要だ。他人の勧めてくれる、ウクライナの、ロシアの文学が必要だ。
ゆえにこの冊子[Bookmark]の日本に於ける役割は非常に重い。もう体感的に戦争を、ロシアを、ウクライナをとらえられないところに私たちは、いや、私はいるからだ。まったく体感のないウクライナ戦を知るために…知ることでしかはじまらない…戦争の報道を見る/聞くという行為——。
あらためて云えば…文学は、戦争を止められない。しかしウクライナ戦争を知るためには、ウクライナやロシアの土地と歴史と人とを知ることが必須だ。それには、作家が心を砕いた文学が必須なのだ。しかも色々な人の、色々な考えの、色々な戦争…や、今起きている戦争について…思うということが必要なのだ。本で、紙で、文字で。金原瑞人の[Bookmark]それを私に与えたくれた。今、舐めるように読んでいる。

PS
自分の読書の動機は、主に他人によって作られる。何故なら私は編集のようなことをずっとしてきたから。人の欲望が自分の欲望にもなる。[Bookmark]からいくつものトリガーをもらった。もっとも気になったのが、梨屋アリエ「問うこと」というエッセイだ。
なにがどうして戦争になったのかさえわかってなかった。~戦争体験のないわたしにとって、「初めての戦争」はテレビの中の湾岸戦争だった。そう話して、呆れられたことがある。2022年、フィルターバブルの中にいるいまの若い人たちは、ウクライナ戦争をどう記憶するだろうか。~

空白の10年がローリングして起きて、その揚げ句、コロナと戦争が浮上した。その空白の時間に、「おれたち何にもないんすよ。あったのは、テレビでみたイラク戦争くらいかな…。」という街頭インタビューは僕も記憶に残っている。何も起きないことに退屈している若者の国で、フィルターバブルが蔓延している。(自分、フィルターバブルという言葉を知らなかった。)これは日本側にある見えにくい戦争支持の一つであると直感する。
ちょっと何ヶ月か、[Bookmark]からの思考を続けてみたいと思っている。フィルターバブルを避けて文字を読みたい。できるかどうか分からないが。それが行為としてあっているかどうか分からないが…。


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