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よろよろと文字を埋める

文章を書くリハビリをしてる。これが習慣になっていけば、長い文章を書く体力が戻ってきて、小説も書けるようになるかも。書きたいのか?わからない。ひょっこり生まれたら面白い。
自分は長いこと、インターネット上でなにか読んでもらう仕事をしていたのだが、アクセス数が自分を苦しめた。そして、本当に興味があって好きだったものや、どんなことを面白いと感じるか、未来に対してどんな景色を見ているか、それらの基準はすべて「購読者=他人がどう思うか」に置き換えてしまっていた。自分自身が面白いと感じるものを封印し、日夜、人がどんなことに関心があるのか、何が好きそうかをリサーチし、他人の「いいね」のために熱心に身を捧げ、魂を削り出して差し出すような仕事のやり方をしていた。そのため、気づいたときには何を見ても面白いと思えなくなった。すっかり病み散らかしていた。ついに何も書けなくなった私は、面白を仕事にするのは自分には難しい、才能がない、センスがない、と結論づけた。好きなものは仕事にしないほうが人生は楽しいのだ、とかなんとか副題も添えながら。

今思えば「あんたたちの心を文章で操ってやるよ!ほらほら、こういうのが読みたいんだろう?羊ちゃんめ」みたいな、不遜で狡猾な、あばずれの魂をもって取り組めば良かったんだと思う。根がまじめなものだから、必要以上に自分の心を与えすぎたんだな。おとめ座だし……。
まあそんなわけで、文章を仕事にすることについて恨みや怒りを覚えていた時期もあった。けれども、それらの出来事や感情を、手を変え品を変えて毎日書き綴るほどではなかった。よくも悪くも飽きっぽい。
普段から「またあいつに優しくしてしまった!ひどい仕打ちをする奴なのに」と後から思い出すこともしょっちゅうだ。

なんだかんだでけっこう書けている。とりあえずなんか、ちょっとでも書いていったら良いんじゃないか。あとで、なるほど2024年はこんな感じだったのか、って思うだけでも楽しいかもしれない。そのころには別のなにかに夢中になっていて、忘れているかもしれない。

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