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「豊か」って何だ

梅雨入り前の5月末、生まれて初めて「マネーセミナー」に参加した。
年金制度の不安、インフレなどのリスク、iDeCoやNISAの違い、リスクヘッジの保険等々、ものすごくわかりやすくて、良いセミナーだった。
しかし、比較的前向きな気持ちで参加した私の胸中は、今、かなり荒れ狂っている。

景気って回復するの?


iDeCoにしてもNISAにしても、一言で表現するならば「投資」になると思う。
そして投資とは、「利益を見込んで事業に資本を出すこと(新明解国語辞典 第六版)」である。
少子高齢化の急激な進行にともない、年金制度に期待をもてないから、財産形成をする。私もそうしたい。

でも、私が生まれる少し前に起きたバブル崩壊から30年。日本経済は、国民の生活は上向いているのだろうか?
車を買い、家を買い、高級なブランドバッグを、腕時計を買い漁る。定期預金にお金をつっこめば、利子でお金がどんどん増える。バブルの時代ってそういうイメージ。
今、少なくとも、私の周りにはそんなものにお金を使う余裕のある友達はいない。「老後2,000万円問題」を心配している子の方が、まだ見つけやすい。

基準をバブル崩壊前に置くのがいけないのかもしれない。
でも、iDeCoやつみたてNISAの利用を検討するなら、20~30年の長期スパンで経済を考えるべきだと思う。
そして、直近30年に鑑みると、私は、投資によって得られるリターン、見込みたい「利益」を夢見ることができない。むしろ、ほとんどなくなる未来の方がイメージしやすい。
残念ながら、これが、2022年のとあるアラサーの率直な感想である。

「投資のすゝめ」の前に、財布の中でも見たらどう?


もうひとつ引っかかったのが、国として投資による財産形成を勧めている、という点である。

iDeCoにしてもNISAにしても、取り組む人は税制優遇を受けられる。
「税金がちょっと安くなるよ」という謳い文句で、日本国が私たちの投資を後押ししてくれている、ということである。大変結構なことである。

では、なぜ国は私たちに投資を勧めるのだろうか? もちろん、少子高齢化でお金が足りなくなって、国民に年金を払い続けることができないからだ。
一言で言えば「お金がない」--それに尽きるのだろう。

…では、あの、関係者の皆様。おうかがいしたいのですが、使途を追えない11兆円のコロナ対策予備費は、何に使ったのでしょうか?
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA133NB0T10C22A5000000/

お金がないと騒ぐ前に、私たちの血税が適切につかわれているかどうか、そこを全部しっかり把握するところからはじめてはいかがでしょうか?
人に投資するように勧めておきながら、自分はお金の管理が、少なくとも11兆円分はできていない。借金まみれの詐欺師かよ、なんて思わせてんじゃねーよこの野郎。

「豊か」の定義を考え直したい


…と、考えれば考えるほど、とにかく未来に希望をもてない。
どうすれば、私は退職までの40年を楽しく過ごせるのだろうか。ずっと、お金の心配をしながら働きつづけなければならないのだろうか。
そもそも、なんでお金っているんだっけ?

ここまで考えて思い出したのが、「世界一貧しい大統領」と呼ばれた元ウルグアイ大統領、ホセ・ムヒカ氏のことである。
まだ学生だった頃、筆者は幸運にも、彼の生スピーチを聞く機会に恵まれた(そのスピーチもYouTubeで見つけられるが、いささか長いため、かの有名な国連演説の(非公式の)リンクを貼りたい)。
https://www.youtube.com/watch?v=m_v7zxdmpbw&ab_channel=TomatoSan

老後のために、お金は必要だと思う。
それは、働けなくなっても衣食住に困らないようにするためだし、旅行に行ったりという少しのぜいたく、もしかしたらいるかもしれない孫を甘やかすためのお金だとか、そんなものだ。
でも、私はタワーマンションに住みたいとは思わないし、高級な車をもちたいとも思わない。海外旅行だって、行ければ嬉しいけれど必須ではないし、ブランド物の服にも興味はない。

突き詰めていくと、自分の人生において一番大切なものと、必要最低限の衣食住さえ確保できれば、それなりに幸せで豊かな人生である。そう思えるようになることことそが、お金に対する不安を取り除く唯一の方法ではないだろうか。
多分、ムヒカ氏の言う「必要最低限のもので満足する」こととは、そういうことなんだと思う。
何があれば、自分は自分の人生を「豊か」だと、満足だと感じられるのか--未来に夢を見られない私が前を向くために、一番必要なのがこの「豊かさ」の再定義なのではないか。

明日を前向きに生きるために


とはいえ、ヒトは一度手にした利便性を手放せない生き物だ。
今、恵まれた生活を送っていると言える私は、自分の生活水準を落とすことはできないだろう。

だから、勉強し続けなければならない。
今日は前向きに捉えることのできなかった投資だって、勉強すれば、納得のいく付き合い方が見つかるかもしれない。
自分が「豊か」だと満足できる生活を送るために、どれくらいの資産が必要で、それをどうしたら工面できそうか、ちゃんと計算すれば、少しは明るい未来が見えてくるのかもしれない。
自分の人生で何が一番大切なのか、しっかりと自分と向き合えば、少なくとも間違った方向に進んでしまう可能性は減らせるかもしれない。
そうしてやるべきことをしっかりとやって、心に余裕をもつことができれば、「Que Será, Será(ケ・セラ・セラ)」と前を向いて、運を天に任せて歩いていっても良いかもしれない。

わからないけどね。
でも、できる努力をしないで嘆くなんて、そんなの格好悪いじゃない。


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