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動き出す「きっかけ」を作る人になる。なるんだ。

【前談】

「人の力になれたとき、人は幸せを感じる」

これは真理だと思う。

30年程度の人生だけれど
振り返ってみて輝いているのは
誰かに深く感謝されたり
誰かの笑顔を自分が作れたときだ。


「大きな目標を達成したとき」

これも大きな幸せだけれど
共に喜ぶ存在がいなければ
きっと味気ない。

「一人で黙々」じゃやるせなくて
頑張った先に多くの笑顔が待っていてほしい。

それが私の価値観で
切り捨てられない承認欲だと解釈している。


【前談2】

私は転職を2回していて、3つの会社を経験している。

ちなみに今は休職中。知り合いの店で気ままにバイトしながら、人生を模索している。


1つ目の会社は飲食店で、右も左もわからぬまま2年が過ぎた。

勝ち筋が見えなかったお店はまもなく閉店。「貢献できた」という感覚のない2年間だった。


2つ目の仕事は営業を選んだ。営業なら顧客や会社に貢献できる気がした。

その選択は悪くなかった。一定の自信と経験を手に入れた私は、エキサイティングに社会課題を解決するベンチャー企業に転職した。


3社目のベンチャーは最高に楽しかった。どんどん売れてどんどん仲間が増えた時期は、麻薬的な楽しさがあった。

しかし、次第に「社会課題を解決」と「利益を生み出す」のバランスが崩れた。

やがて、私にとって「誰かのためになる」仕事では無くなったとき、私はそこには居られなくなった。



【本題】

こんな経験をしてきた私だが、根っから「楽しむことが苦手な人間」だと思う。

すぐ不安になり
矛盾が気になり
目の前のことに集中できなくなる。

常に頭の中でグルグル考えているから
疲れてしまって
結局、現実逃避に走る。

そんな自分が嫌だ。
明るくない自分が嫌だ。
軽やかに生きられないのがしんどい。

今日もベッドから起きず
仕事もせず
何もせず
生きた。


生きてるのかな?
ただ、息をしてるだけで
わたしはまだ何も生きていない。


せめて今日は生きていなかった。


【結び】

少し、生きた心地がした。

自分の歩みを「文字」にして
自分の考えを具体的に捉えることができた。


現実から逃げそうになったら
ここに戻ってこよう。

私は「生きて」いたいし
誰かのためになりたいんだ。

いくつかの経験は
私にブレーキをかけてくるけど

いくつかの私の性質は
とてもだらしなくて嫌になるけど


私のようにベッドの上から動き出せない人を
明るい世界にひっぱり出せるように

未知の世界の入り口から
流れに乗って行くところまで
ナビゲートできるような
私でありたい。


そうやって生きていきたい。




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