見出し画像

再びの台北|台湾2019 #2

スマホのバッテリーは忘れてはいけない。

中正記念堂 かっこよろしい

早朝、朝食として、台湾式おにぎり?のような、招牌紫米飯糰なるものを食べるために中正記念堂近くの「劉媽媽飯糰」に向かう。早朝に関わらず、行列のある店先。しばらくして購入したそれは、黒米の中に肉でんぶや野菜が入ったものだった。香ばしさとでんぶの甘さがあって、なかなかに美味しい。

僕らはこの台湾式おにぎりを中正紀念堂公園のベンチで食べていたのだが、公園内ではラジオ体操的な感じで体を小刻みに震わせる謎の運動をされているグループがいる。どこに効いているかは定かではないが、それを言えばラジオ体操も似たようなものかもしれない。

食事とラジオ体操グループ鑑賞が終わったところで、中正紀念堂へ。こちらは台湾初代総統の蒋介石の顕彰施設だ。

中心部に巨大な蒋介石座像が安置されている。

友人とともに、ほうほうなるほどなるほど、と観ていると、スタッフらしき男性が室内にロープを張りはじめている。ぼんやりしていると締め出されるところだったが、どうやらこれは、衛兵交代式の準備だったようだ。

しばらくすると衛兵が声を上げながら行進して入場、そして銃剣を回す演技をしながらの交代式が始まった。一矢乱れぬ動きが格好いい。有名なロンドンの衛兵交代式はスケジュールの都合で観ることができなかったが、これはこれで良いものだ。

龍山寺 おみくじ解読

屈強な若者による衛兵交代式の後、龍山寺へと向かう。龍山寺は台北最古の寺院であり、台北の定番観光スポット。前回台湾に訪れたときは、土砂降りの中での参拝だったが、今日は見事な快晴。素晴らしい。

参拝は、お香(線香の大きいもの)を持って神様の香炉を廻っていくというもの。参拝の仕方が日本とは違うことが面白い。

一方で日本と同じくおみくじがあり、早速に引いてみると、結果は「中平」。字面的にはおそらく可もなく不可もなく、といったように見えるがどうだろう。また神様からのコメントが書いてあるが、もちろん台湾の言葉なので、あーだこーだ解読するしかない。おそらく可もなく不可もなし、なことだろう。

後に詳しく解説を調べたところ、「困難や失敗から逃げても、物事は悪化していくばかりだ。逃げ出さずに困難のもとと向き合いましょう。」的な意味のようだ。ズバリ言い当てられており、大変申し訳ない限り。

鼎泰豊と自由行動

昼食は、鼎泰豊で小籠包をいただく。日本にも支店がある超有名店だが、現地のものは初めて。さすが有名店、待ち人数も多いようで、入店時に整理券が配られる。1時間ほど隣の書店で時間を潰してからようやく入店。

日本語と英語の解説書きがあるあたり、世界中から小籠包を食べに訪れることがみてとれる。小籠包を生姜とともに食べるのが「おいしい召し上がり方」のようだ。

解説書きの通りに食べてみると、生姜の香りがさっぱりしていて確かに美味しい。正直、あまり生姜自体は好きではなかったが、鼎泰豊の生姜は別だった。

食事後、お土産を買いに行くという友人と一旦解散し、一人、台北当代芸術館へ。いわゆる現代美術館で、このときは「再轉存 ─ 2019第十四屆臺北數位藝術節」という展示を開催中。察するに、デジタルアートのイベントのようだ。コンピューターとアートの融合といったテーマの作品が並ぶ。ここの良いところは無料であるところ。芸術館自体が無料なのか、このイベントのみ無料なのかは定かではない。

茶芸館「小慢」 再び

とんでもない量のお土産を買い込んできた友人と合流し、茶芸館「小慢(シャオマン)」へ。小慢は、前回台湾を訪れたときに、最も良かった場所で、雰囲気が抜群に良い茶芸館だ。住宅街の中にあり、それほど混んでいないのも良い。

5年ぶりに味わうお茶の味は変わらず最高だ。室内の雰囲気も合わさって、ゆっくり時間をかけて味わうことの楽しさを感じさせてくれる場所だ。

ところで、前回訪れたときには、日本人男性の店員がいたが、今回はいない。小慢Kyotoを展開すると言っていたので、京都にいるのかもしれない。代わって、どうやらフランス人っぽい女性が店員として働いていた。僕らの隣の席では、フランス語のような会話がされている。この台湾茶の魅力がフランス人?にも伝わりますように。

たっぷり小慢に長居し、日が暮れたところで夜市に出かける。予定では台湾最大の士林夜市に行くつもりだったが、それなりに疲れてしまったので、近場の寧夏路夜市へ。士林夜市と比べれば規模は小さいが、それでも地元の人たちと観光客とでごった返している。範囲が小さいため余計に人が多く見えるのかもしれない。

この寧夏路夜市、伝統的な台湾の出店料理だからなのか、名物的なものが巨大なチキンの唐揚げ。遠目から見てもその巨大さだけでお腹が膨れてしまう。さすがにあの巨大唐揚げを食べるにはレベルが足りておらず、恐れをなした僕らはホテルへと戻ってきたのだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?