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シャルク号のツル|ウズベキスタン2023 #6

前回:いろいろと2回目を経験。


3泊した宿のおじさん

一夜明け、この日はタシケントに戻る日である。もはや3回目となる青空のもとでの朝食をとり、宿のおじさんとのとりとめのない会話をする。

と、ここで昨晩におじさんに頼んでいた滞在証明書「レギストラーツィア」を受け取る。旧ソ連国家では、旅行者は帰国時に、この滞在証明書を提出する必要があるのだ。ただ今ではこの制度は形骸化しており、現在ではほとんど求められることはないらしい。(実際に自分も提出する必要は無かった。)

最後に、お世話になったおじさんに、あらん限りの語彙力をGoogle翻訳に込めてお礼を伝えた。おじさんは強面ながら少し照れていた。

最後に宿のおじさんの写真を撮らせてもらい、3日間を過ごした宿を後にした。宿は綺麗だったし、英語は通じないけど何かとおじさんは親切だったし、とてもいい滞在だった。ただ3日間は正直やりすぎた。

シャルク号 出発まで

タクシー配車アプリ”Yandex Go” でサマルカンド駅まで向かう。とても楽すぎる。なんで初日に使わずに駅から10km近く歩いたり、2日目にも天文台まで炎天下を延々と歩いたのだ。(好きでやったことである。)

サマルカンド駅に到着し、予約していた高速列車に乗り込む。タシケントからきたときはアフラシャブ号という名前だったが、今回はシャルク号という名前。ようは「のぞみ」か「こだま」か、というようなもので、今回のシャル久号は各駅にとまるので「こだま」の方。

乗り込むと、発車時間前に列車が動き出した。逆方向に。

「え!?乗る列車間違えた?」と慌てる。周りの乗客は特に慌てた様子もなかったが、旅行者であろう白人男性も「え?え?」と慌てている。

白人男性と僕は、サービススタッフの少年に「これタシケント行きだよね?」と聞くも「そうだよ、タシケントに行くよ。」しか言わないのでよく分からない。白人男性と僕は顔を見合わせ「まぁ、そういうなら待っているしかないか、よく分からないけど。」と表情で会話した。

結局のところ、列車はサマルカンド駅を離れるわけではなく、どうやら他の列車を通すために車体を少し移動させただけらしい。しばらくすると元の位置に戻り、定時になるとタシケント方面に発車した。日本ではアナウンスがあるものだが、それはサービス過剰な日本ならではなのだ。

シャルク号 異様に懐かれる

無事にシャルク号が発車。サマルカンドからタシケントまで所要時間は3時間半ほど。来るときと同じく、荒涼とした風景を楽しむ。

と、思っていたら、通路を挟んだ席に座っていた子ども2人が、やたらとこちらに絡んでくる。「レイアパパママ」みたいな歌でこちらにアピールするので、うんうんと相槌をうっていたら「あ、コイツは遊んでいいヤツだ」と思われたようだ。

一緒に座っていたお母さんも、遊んでくれる人畜無害そうなアジア人がいたので、スマホをいじり倒している。こうしてサマルカンドからタシケントまでの列車内児童クラブが始まった。

子どもたちは上の子が小学校低学年、下の子が幼稚園くらいだろうか。性別は自信が無いが、ピアスをしていたので女の子だと思われる。

言葉は全く通じないが、歌と変顔に始まり、お母さんのスマホを借りてきてゲームをしろと言う。子ども向けのパズルゲームらしいが、ルールが分からないと思っていると、僕の指をとり、画面の動物マークを一つ一つ押しはじめた。確かにそれならルールを理解できる。言葉が分からない場合のゲームのおしえかたはこうだったのか。

ゲームに飽きたのか、次は僕のスマホに興味を示した。何か分かりそうなのはあるかな?と思いアプリを広げ、ドラクエウォークを起動すると、画面にうつるスライムに反応をした。おぉ、スライムはウズベキスタンでもいたか。(今思えば、ポケモンならもっといいリアクションだったかもしれない。)

やがて子どもたちは、僕のスマホやらメガネやらを触りはじめたので、どうしたものかと思った僕は一つのアイデアを思いついた。

外国人には、日本の折り紙が100%ウケる。

これは僕が大学生のとき、ホームステイしていた友人に聞いたものだった。日本人のほとんどが、正方形の紙さえあればツルを折ることができる。が、外国人はそんな器用なことはしないのだ。というより、日本人はなぜあんなにツルが好きなのだ。

ということで、僕はカバンにあったいらない紙で正方形を作り、ツルを折り始めた。もちろんその間も子どもたちは興味を持って”邪魔”をしてくる。やがて出来上がったツルを上の子に渡すと目論見通り喜んでくれた。おぉ、やはり折り紙は100%ウケる。

折り紙パワーを借りて、シャルク号はタシケントへと近付いた。子どもたちは、ついに僕自身にも飽きたのか、同じ車内の他の子どもたちと遊び出していた。平穏の喜びと少しばかりの寂しさを感じつつ、タシケントへと到着した。

子どもたちとお母さんはさっさと列車を降りていったが、子どもたちの手にはツルがあったので、僕は大変満足した。ありがとう、大学のときにホームステイした友人よ。


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