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ウクライナから逃げてきたおばさんとローマ空港で一緒に夜を明かした話。


Arraさんとその家族、
そしてウクライナの皆さんへの祈りとともに。

深夜のローマ空港で寝床を探す


ローマ空港で夜を明かす必要があった。スリが多いローマ空港。
スーパーキュートで小柄な日本人女性一人で寝るのは少し勇気がいる。

だから、疲れた体に鞭打って空港内をうろうろして、女性がすでに仮眠しているベンチの近くで私も寝ることにした。

携帯を充電しながら、Wi-Fiを繋ぐ。
5分くらい格闘したけど、繋がらなかった。瞼が重い体力も限界。諦めて眠ることにした。

しばらくして、大声で電話しているおばさんがそのベンチに座った。電話が途切れればかけ直す。大声が深夜の空港内に響き渡る。

いちいち気にしていても仕方がないので、寝袋をゴソゴソと準備。
(寝袋は何かと便利だから、手荷物で持って行ったほうがいいよとヒッピーに教わった笑 これは、飛行機の中でも便利だったので全旅人におすすめしたい◎)


プチパニックなっているおばさんから声をかけられる


すると、隣で電話していたおばさんがプチパニックになりながら、すごい勢いこちらに向かって話している。それは確かなのだが、何語か見当がつかず、怒られているのか、質問されているのか分からなかった。

自分のスマホを叩いて、何かを訴えてくる。
スマホを覗いても、何が書いてあるかわからない。何が起こっているのか全く把握できない。

おばちゃんをよく見ると、私の母親と同じくらいの年齢に見えた。今思うと、なんとなく雰囲気も似ていた。

どうせ、電話中にどっかのボタン押しちゃってプチパニックになっているとかそんなところだろう。

母親世代は、どこの国でも一緒だ。

母親も、スマホで変なボタン押して画面が動かなくなったとか、元の画面がどっかいったとか、いちいち大騒ぎする。Androidスマホのことはよく分からないのに、若者ならなんでも解決できると思ってない?笑笑

読みは、大当たり。
wi-fiが切れて、電話が急に繋がらなくなったのだ。

自分のスマホでも繋げられなかったWi-Fi。
これは、ローマ空港が悪い笑

おばちゃんには、「自分のスマホも繋がらなかったから、無理だよ」と言った。全力で無理だったという顔をしたのだけど、理解している様子は全くなく、繋がらないからどうにかしろと言わんばかりにスマホを無理やり押し付けてきた。

これは、Wi-Fiに繋がるまで離してくれない、、、。
仕方がないので、自分のスマホでもう一度試して、おばちゃんと一緒にWi-Fiを繋げるべく格闘した。おばちゃんのスマホの設定言語が見たことない文字で、さらに苦戦した。10分くらい格闘。

やっと繋がったとき、嬉しすぎて2人で思わずハグをした。頭がぶつかって、大爆笑した。この10分間で、私たちはなんとなく同志のような気持ちになっていた。

Wi-Fiが繋がると、またすぐに電話がかかってきた。


しばらく電話していた後、おばちゃんはわたしにこう言った。

「ごめんね、娘と電話しているときにWi-Fiが切れちゃって。ウクライナから来たの。English,nono.」


おばちゃんは、ウクライナから逃げてきた人だった。名前は、アラさん。

娘さんは、違う国に逃げていて、生後8ヶ月の赤ちゃんがいる。明日の朝、ローマ空港で落ち合う予定なのだと。そして、一緒にカナダに行く。カナダがどんなところか分からないけど、娘の友達がいるからって。

アラさんの旦那さんも、娘さんの旦那さんもウクライナから出国できなくなった。だから何度も家族と電話して電話して電話して、無事を確かめ合う。

5分でもWi-Fiが途切れ、連絡がつかなくなると、不安で不安でたまらない。その5分間に何があるかわからないから。だから、おばちゃんはひたすら電話する。


電話がひと段落すると、空港内で何か食べるものを買える場所はないかと聞かれた。もう空港の店は全部閉まっていた。
アラさんが何も食べていないのではないかと思い、手持ちのバックからお土産で買ったお菓子や食べかけのクラッカーなどをあげた。わたしもそれしかなかったのだ。実際、夜ご飯を食べていなかったのでわたしも腹ペコだった。

すると、すぐに返された。確かにいくらなんでも、封を開けたクラッカーあげるのは失礼か、、、。

なんて思っていたら、違った。

Wi-Fiを繋げたお礼に何か奢りたいと言われた。
「いやいや、お礼なんていいよ。一緒に食べよう」と、クラッカーをふたりで食べた。

アラさんは、バッグの中から、娘さん用に買ったネイルシールをくれた。
これしかなくてごめんって。

そしてそこからは、電話の合間と合間に、ものすごい勢いで話した。


お互いたどたどしい英語で、たどたどしいGoogle翻訳を通して、3時間くらい話した。


全部がたどたどしかった笑
どれくらい伝わっていたかもわからないけど、お互いの家族の話や、将来の話をした。
アラさんはほとんどウクライナ語だったけど、たまに喋る英語は戦場を語るには、あまりにストレートだった。

「People, people, many many, kill kill kill, die die die」

「Sad Sad」


「チサ、歴史が大事なの。understand??」と何度も繰り返した。


大学で何を勉強しているのか聞かれ、「神学部でキリスト教勉強していた」と答えた。


すると、アラさんは満面の笑みを浮かべて、お孫さんの洗礼式の写真を見せてくれた。そして、アラさんは、どこへ避難するときも肩身離さず持っているイコンをバックから出した。アラさんは、ウクライナ正教会の信者だった。

正教会においてイコンとは、単なる聖堂の装飾や奉神礼の道具ではなく、正教徒が祈り、口付けする、聖なるものである。但し信仰の対象となるのはイコンそのものではなく、イコンに画かれた原像である。このことについて、正教会では「遠距離恋愛者が持つ恋人の写真」「彼女は、写真に恋をしているのではなく、写真に写っている彼を愛している」といった喩えで説明されることがある。

イコン|https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3


ボロボロになったお祈り帳。そこには、主の祈りやアヴェ・マリアの祈りが書かれていた。(と思う。Google レンズ上では)

アラさんがこれから、家族や友人のために祈るというので、一緒に祈りたいと言った。

祈らずにはいられなかった。できることはそれしかなかったから。
慰めの言葉を10個並べるよりも、沈黙を共有したい。戦争の痛みを語るには、Google翻訳にも言葉にも限界があった。


私たちは、手を繋いでそれぞれの国の言語で祈った。
わたしは日本語で、アラさんはウクライナ語で。


最後の「アーメン」という一言は、言葉にならなかった。
涙が溢れた。
そして、もう一度ともに祈り、一緒に泣いた。アラさんが優しく、抱きしめてくれた。

わたしは、寝袋に戻り、アラさんはもう一度電話しはじめた。

うるさくても構わない。
ウクライナにいる家族と連絡が途切れることがありませんように。
そう祈りながら眠りについた。


アラさんが「memory」とメッセージ付きで送ってくれた写真


翌朝、私たちは一緒に起きて、一緒に朝ごはんを食べた。


Wi-Fiの女神にはこれくらいしないとって、激甘クロワッサンを奢ってくれた。水も買って持たせてくれた。M&Mのチョコレートも。
そして、カナダに行ったらいらないからとクタクタになった緑のTシャツまでくれた。本当は、わたしがくしゃみしてたから心配してくれたんだと思う。(私のくしゃみって、毎回5回くらい連続で出ちゃうの笑)

「ウクライナから逃げてきた人に奢らせるなよ。ってか、服までもらったの?!」
私も前日の夜まではそう思っていた。そんなことさせちゃいけない。
だけど、

「やさしさを素直に受け取ること」


これも、すごく大事なことなんだと思う。
だって、貰うばっかりで、その感謝を受け取ってくれないって少し寂しい。なんだか、対等な関係ではないような気がした。


寝起きのわたしの写真をたくさん撮って、家族や友人にメッセージを送りまくってたアラさん。


アラさんはわたしを通して、娘さんを見ていた。


離れ離れで会える保証がない娘さんにしてあげたいことを、全部わたしにしようとしていたのではないかと思う。

だから、アラさんの優しさを全部受け取った。


睡眠不足で、激甘クロワッサンとコーヒーはちょっと気持ち悪くなりそうだったけど、全部目の前で食べた。「一緒に食べると美味しいね〜、美味しいね〜」って、嬉しそうだった。アラさんと別れたあとリアルに2回吐いてしまったけど笑

朝ごはんを食べながら、旦那さんと娘さんとのテレビ電話にわたしも参加した。何を言っているか相変わらずほとんど分からなかったけど、「お母さんと一緒にいてくれてありがとう」と娘さんが言った。

わたしも、少し不安だった空港泊に、どことなく母に似ているアラさんがいて本当に心強かった。荷物置いて、トイレに行くのも楽だしね笑

アラさんにとっても、わたしと一緒に過ごした時間が心地のいいものであっったら嬉しい。

わたしのフライト時間ギリギリまで一緒に過ごした。



与えて、与えられて。
共にいることは、少しだけ人を癒し、つよくする。
すべての属性を超えて、ともに祈ることができた。
人格的な交わりって、こういうことなんだね、アラさん。


その後、娘さんとローマ空港で合流できたらしい。だけど、アラさんのパスポートが古くて予定していたフライトに全員で乗れなかったらしい。「私の険しい冒険は続きます。」とGoogleが直訳した通り、アラさんが真に落ち着ける日はまだまだ遠い。


・・・


日本では、ウクライナとロシアの戦争に関するニュースの時間が占める割合は減り、戦争があること自体が恒常化してしまってきたのではないかと感じる。わたしもその一人だった。

今、ヨーロッパの空港でウクライナの難民の方に出会うことは珍しくない。ロンドンの空港で、荷物運ぶのが大変そうで、たまたま声をかけた親子もそうだった。小さな男の子は、腕を怪我していて三角筋で腕を固定していた。
その時は、日本語でも英語でもどんな風に声をかけていいか分からず、ただただ荷物を運ぶことを手伝うことしかできなかった。


確実に戦争は起きている。起こり続けている。今、この瞬間も。
生身の人間と人間が、互いに傷つけ、傷ついている。


最後の最後に、アラさんから。



祈りのうちに。

LORD,
make me an instrument of Your peace.
Where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon;
where there is doubt, faith;
where there is despair, hope;
where there is darkness, light;
and where there is sadness, joy.

O DIVINE MASTER,
grant that I may not so much seek to be consoled as to console;
to be understood as to understand;
to be loved as to love;
for it is in giving that we receive;
it is in pardoning that we are pardoned;
and it is in dying that we are born to eternal life.

Saint Francis of Assisi

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