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世界が動き始める前に。


非日常が一年かけて、日常となり、徐々に世界がまた動き出そうとしている。
こんな状況でも、春ってやっぱり新しいこと始めたくなるし、世界がソワソワしているように見える。

思いがけず、時が止まっていた2020を取り戻そうと

世界は、社会は、人は、今まで以上に動き、働くはず。


【生産性】【効率性】【能動率】などなど
今まで以上に求め始めるはず。
とにかく動いて、働いて、削れるとこ削って、バンバン経済回していく路線に入っていくと思う…

と、言うのはわたしの想像に過ぎないけど、みんなもトイレの間とかに考えてみて欲しい。これから、どうなるんだ?って笑

わたしは、ちょっとそんな社会になったら怖いな…と想像しつつ、そんな流れに乗ろうとしている。
2020年はエネルギーを溜めるための時間だったんだ。とか、適当に理由をつけて、エンジンをふかし始めた。

去年、悩みに悩んで買った手帳は、3月以降何も書き込まれず白紙のまま放置されていた。

また春がきて、手帳を買った。
まっさらな手帳に、どうせ最初しかきれいに書かないけど、丁寧に予定を書き込んでいく。予定があると安心するよね、本当に。

焦っている時に限って忘れ物をするように、
一度、走り始めたらきっと、忘れてしまう。

世界、社会、人間、自分は弱くて脆い。

ってことを。

想定外の連続だったコロナ渦を経て、体感的に分かったこと
それは、弱さは隠すものでも、克服するものでもなく、誇っていいものだよってこと。だって、もともと弱いのよ。全部。

去年は激動の一年だった
と言っても、実際には病院と家の往復以外は、リビングの固定席にずっと座っていた。全く動いてないんだけどね笑。
世界的にも、動くな。じっとしてて。って感じだったよね

それでも、文字通り激しく動いていた
世界中で何かが。自分の中で何かが。確実に。

これだけ発展してきた世界にもまだ未知なるものが存在して、これまで人間が積み上げてきたものをいとも簡単に崩していく。
世界は、社会は、人間は、弱かった。

確信していた日常を失い、生きがいの登山も失い、将来設計も失い、信じていたことやモノ、ヒトも簡単に失われることを知った。
私は、とても弱かった。

わたしの一年は「一難去ってまた一難」というより、「一難停滞、また三難。」みたいな感じで、ずっと雨雲が頭の上にあって、たまに雷落とされるイメージ。わかる??笑 

ボコボコにされて、ボロボロになった。
ボロボロになった時、ぽろぽろと自分を覆っていた色んなものが剥がれていった。

最終的に自分に残ったのは、「弱さ」だった。

ん?自分、こんな弱かったっけ?

自分は、強いと思っていた。精神的にも、身体的にも。
山には登るし、3000mの高所で一ヶ月過ごせる。ネパールのカオスでも生きれる。ちょっとのことでへこたれないし、自己肯定感はある程度高いし、結構ポジティブ人間のはずだった。

でも、手術は痛かったし、背中の注射は痛すぎて泣いたし、食あたりはするし、落ち込むし、ストレスで眠れなくなったり、ご飯が食べれなくなったり、心も身体も自分が思っていたよりもずっとずっと弱かった。

2020年はちょっと特別な年だったけど、急に弱い人間になったんじゃない。
今までも、弱かったけれど、弱い自分に気づいていなかっただけ。忙しかったのもあるけど、自分でも気づかないくらい頑丈に隠していただけだった。

弱さは、「恥ずかしいもの、隠すもの、克服するもの」

そんな風にずっと考えていた。

だから、弱さを克服するために色んな力を手に入れた。
社会の荒波に揉まれても折れないように、精神力、体力、対人力、経済力、学力に筋力まで。というか、そういう教育を受けてきてたんだと思う。

それで強くなった気でいたけれど、自分の力ではどうすることもできないことが起きた時、立ち向かうどころか立つことさえままならなくなった。

弱さを隠す余裕もなかっただけなんだけど、それを隠さないし、克服もしなかった。だって、がんばれない時はがんばれないし。いいじゃん、それでも笑 完全に開き直って、Human-being論を打ち立てた笑

ちょっと、びっくりするくらいの反響があった。やっぱり、みんなそれぞれに葛藤があった一年だったってことよね。

自分の弱さを共有することって勇気がいる。それってやっぱり、弱いことは恥ずかしいって意識だったり、いい人に見られたい!みたいなプライドが邪魔してるだけだった、わたしの場合は。

でも、弱くて人間臭い感じを見せても付き合える人たちって、自分でさえ認めることのできない弱くて情けない自分も認めてくれる。
自分で自分を愛せ。っていうけどやっぱりできない時の方が多いから、そんな時は「それでもいいんじゃん?」って言ってくれる人に頼るのもいいんだぁってなった。

一回、弱いところみせると、人と深く語れたり、繋がれたりできるようになった。

なんでかって? そんなん簡単だよ。

お互いに武装していたら、安心して一緒にいられないし、つながれないもん。弱さを共有することは、そういった意味で人と真につながることを可能にするのかもしれない。

世界が動き出す前に。


これから、世界は遅れを取り戻すべく、今まで以上に目まぐるしく変化していく。弱さを克服するためにワクチン開発を一生懸命やるし、医療体制を強固にするだろうし、経済も立て直そうとすると思う。

「免疫をつけろ。強くなれ。」

そればかりが言われるような世界になるかもしれない。
わたしも止まってしまっていた色んな活動を始めて、カッコつけて、強がって生きてくんだろう。まだ弱くていいよって言ってくれる社会じゃないから。

それで、また忘れると思う。
自分が弱かったことも世界が弱かったことも。社会構造なんて、あっという間に崩れることも。

「強くあれ」そんな社会で、「弱さを誇れ」ってのは結構な矛盾かもしれない。

弱さを共有できない社会ってたぶんやばい。
誰だっていつも強くいられるわけじゃないのにさ、弱さ見せたら嫌な顔されるとかさ、めんどくさって思われちゃたまったもんじゃない。
それって、武装解除した本当の自分を否定されるようなもんやんね。


どんな形であれ非日常はまたやってくる。確実に。

天災かもしれないし、隕石衝突だったり、月への移住かも笑
そんな大きなことじゃなくても、非日常はあちこちに転がってる。
恋愛だって、転勤だって、病気だってそう。

自分にとって、想定外だったり、理不尽なことだったり、理解の範疇を超えるできごとにこれからもたくさん遭遇するはず。

そこで思いがけない自分の弱さと対峙するときがまたくる。

だから忘れないでいたい。
自分に対しても、人に対しても。

弱さをそんな頑張って隠さなくても大丈夫かもよ?って。
わたしが認められない自分をも認めてくれた友達もいたよって。

とりあえず、安心して「弱さ」を出せるってわかったので、また強がって生きてこーっと笑

世界が動きだしても、弱さを出せるそんな社会でありますように。









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