281回 きっと来る


意外に思われるかもしれないが、結構ホラー好きである。
昨今はホラー小説もホラー映画も隆盛を極めており、よりどりみどりの様相だ。TVやYouTubeなどでも、ホラーを扱った番組は人気だと聞く。
ホラーと一口に言ってもその中身は幅広い。またその内容もモンスターパニックにサイコホラーにジャパニーズホラーなどなど、そして怖さやグロさの程度も子供でも読める/観れるものから、R18のレイティングがされたものまで、様々だ。

なぜ人はわざわざ怖いものを見たがるのか。
人間の恐怖の根本は、喰われる・落ちる・溺れる(窒息すると言ってもいい)という3種類になるそうだ。これはまだ我々の先祖がネズミのような小さな哺乳類だった時から脈々と受け継がれた、生物としての本能的な危機管理能力から生まれるものだろう。かのラブクラフトも「恐怖は人類の最も古い感情である」と述べている。
そして実際に危険が目の前にある時だけでなく、人が持つ想像力というものによって、喰われるかも、落ちるかも、溺れるかも、つまり端的にいえば「死ぬ/殺されるかもしれない」という状況が醸し出されれば、そこに恐怖が生まれる。
そう考えると、フィクションを通じて恐怖を味わうことにより、危険な目に遭いそうな状況を回避できる経験を得られるから有益ということだろうか。
いや、ことはそう簡単ではない。世の中には、より怖いものや気持ち悪いものを好む輩というのが確かに存在する。もちろんホラーは苦手、怖いのは嫌いという人も沢山いるだろうが、ちょっとした恐怖を味わいたいという人もそれ以上にいるからこそ、ホラー小説もホラー映画もこれだけの人気を博しているのだと思う。
現実には安全なところに身を置きながら味わうからこそ、恐怖は娯楽になり得るのだ。実際に身の危険を感じるようでは、ホラーにはならない。人間は恐怖さえも娯楽にする貪欲な生き物なのである。

18世紀に端を発した『オルラント城奇譚』などのヨーロッパのゴシック小説が、現在のホラー小説の源流と言われている。19世紀になるとメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』など、今も愛されるホラーの名作が生まれた。またアメリカではエドガー・アラン・ポーの小説が、ホラーというジャンルを確立したと言ってもよいだろう。
20世紀になると、パルプ・マガジンの大ブームが訪れる。ハワード・フィリップ・ラブクラフトのクトゥルフ神話も、このような雑誌に掲載されて人気となった。そして1970年代になると、スティーブン・キング、ディーン・R・クーンツ、クライヴ・パーカーといった人気ホラー作家のモダン・ホラーが大流行となり、その作家たちの小説を原作とした映画も公開されたことにより、それまで以上にホラーの人気も高まる。
ホラー映画自体は、1895年にリュミエール兄弟が制作した短編映画『メアリー女王の処刑』が最初だろうと言われている。1920年代にはサイレント映画の傑作である『カリガリ博士』『オペラの怪人』が公開、1950年代になるとトーキーの時代となり『魔人ドラキュラ』などがユニバーサルの「怪奇映画」として人気となった。

ホラーの中でもサイコホラーといえば、1990年の『羊たちの沈黙』の印象が強かったので、つい最近流行ってきたような気がしていたが、サイコホラーの傑作(そしてこの名称の由来でもある)アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』は、なんと1960年制作だった。彼が制作した『鳥』も動物パニックホラーの始祖と言えるので、ヒッチコックはミステリー・スリラーだけでなく、ホラー映画の巨匠なのである。ゾンビ映画の始祖の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』も1969年制作というから、1960年代はホラー映画が豊作だったのだな。
そして1973年『エクソシスト』、1976年『オーメン』と『サスペリア』が大ヒットし、オカルトブームが訪れる。『ジョーズ』も1975年制作だ。
1980年代には『ハロウィン』『13日の金曜日』といったスラッシャー映画と呼ばれる殺人鬼もののホラーが人気となり、キャラクタはシリーズ化されて人気を博す。過剰な血飛沫が飛び散るという点ではスプラッタとも言えるが、厳密には異なるそうで、その辺りは専門家に任せるとしよう。
1990年代は『リング』などのジャパニーズ・ホラーが大ヒットし、「貞子」がホラーの代名詞となった。ジャパニーズ・ホラーといえば、『呪怨』や『仄暗い水の底から』といった湿り気のある作風が特徴的だが、その後話題となった『呪詛』『女神の継承』といったアジアン・ホラーもどこか湿気を感じるのが興味深い。
2000年代は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』に始まるモキュメンタリー、そして2010年代以降は『ヘレディタリー/継承』などの新しい感覚のホラーが、いずれも人気となっている。
時代に応じて、登場するデバイスやアイテムが進化したり、怖がる対象が変わっていったりするのが興味深い。

日本のホラーの源泉は、怪談である。なんといっても『四谷怪談』『牡丹灯籠』『皿屋敷』という日本三大怪談が長らく最強であったが、これに化け猫が加わり、日本のホラー映画の源泉となった。西洋のホラーと言えばキリスト教的な悪魔が登場する場合が多いが、日本の場合それが怨霊となる。何か恨みを残して死んだ人間が超常的な存在となって恨みを晴らすというパターンが多い。ある意味理解可能な範囲であり、わけのわからない恐怖ではない。
1970年代に角川書店が仕掛けたメディアミックスで、横溝正史の小説とそれを映画化したものが大ヒットする。伝奇ホラーといったジャンルで、江戸川乱歩や夢野久作といった作家も再び人気となるが、この辺りをホラーと呼ぶかミステリと呼ぶかは少々迷うところである。
1993年に角川書店が日本ホラー小説大賞を設立、同じ年にできた角川ホラー文庫からは現在活躍する数多のホラー作家がデビューしている。
また『新耳袋』といった実話怪談も根強い人気を保っており、最近はカクヨムなどの投稿サイトやYouTube、また「事故物件サイト」なども人を惹きつけてやまない。因みに新聞の折り込み広告の物件情報で実際に「精神的瑕疵有り」という文字を見つけた時、これが事故物件というやつかと妙に感心したものだった。

ここまで書いておいてなんだが、ホラーは好きだが怖くはない。
リアリストなので、理由がわかれば怖くないし、理由がわからなくてもそういうものだと思うので怖くない。ホラーというのは一歩間違うとかなりコミカルになりかねないところがある。サメ映画などはそれを逆手に取っていると思われるが、あまりに血が飛び散りすぎるスプラッタもその傾向がある。
またゾンビ映画は、法医学教室に9年間在籍してリアルな死体を知りすぎているため、怖くない。みんな臭いが無いから観られるのだろうな、などと冷静になってしまう。
ゾンビは、感染という面から見ればそれは怖い。解剖の際にも一番注意しなければならないのは感染だ。実際に病理解剖で結核感染をされた先生がいらっしゃったので、感染は怖い。病理解剖は亡くなってから間もない時間で行われるので、まだ細菌やウイルスが生きていることがあるのである。
ただ法医学教室で主に行う司法解剖の場合、あまり新鮮ではないご遺体、はっきり言うと腐乱死体が多いので、それだと死後時間が経っており感染のリスクは低い。ゾンビ映画に出てくるのは腐乱死体なので、噛まれて云々というのではないリアルな感染は怖くないと言えるのだ。
ホラー映画で唯一怖いのが、ジャンプスケアと呼ばれる、いきなり飛び出してくる系である。これは怖いのではないな、びっくりする。若い頃一度だけ入ったことがある遊園地のお化け屋敷で、途中の作り物は一切怖くなかったが、最後に幽霊に扮したキャストに突然目の前に出て来られて、驚いて思わず叫び声を上げてしまった。

ということで、怖くはないのにホラーが好きという捻くれ者だが、想像力を駆使して恐怖を喚起してくれる作品をこれからも楽しみにしている。


登場した小説:ホラー小説
→これまで読んだ中で一番怖かったのは、第4回日本ホラー小説大賞受賞の貴志祐介著『黒い家』である。幽霊でも悪魔でも超常現象でもなく、生きた人間が一番怖い。
今回のBGM:「feels like "HEAVEN"」by HIIH
→あまりにも有名な映画『リング』の主題歌。こういうタイトルだと初めて知った。

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