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がんばる、ということ。

『がんばった自分にご褒美!』


確かに、今年も一年、がんばったなぁ。
エラかった!
よくやった!

だけれども、
あれ?
ここ数年「がんばらない」ようにしてきたんじゃなかったっけ?
と、ふと思ったのだ。

『がんばりすぎて空回り』


よく聞くフレーズだ。
数年前の自分がまさにこれで、周りから見たら

「なんでそんなに一人で張り切ってんの?」とか、
「そこまでやらなくてもよくない?」とか、
「よくやるよね……」とか。

きっと、そう思われていたに違いない。


いや、そう思われていたかどうかは今となってはわからないし、
もう、どうでもいいことなんだけれど

「君たちがやらんから、一人でやってるのだよ」とか、
「どうせやるなら、ちゃんとやろうぜ」とか、
「それしかできないから……」とか。

そんな風に肩肘張っていたのは間違いない。
そして、それって相当ハタ迷惑なやつだったかもしれない。

『がんばらないことをがんばる』


そう決めたのは、ありがちだけど、ある日心がぽっきり折れたから。

職場の同僚が机をバーンと叩いた瞬間に、
あれれ?
今までどうやって仕事してきたんだっけ?
働くってどうやるんだっけ?
人とコミュニケーションってどうするんだっけ?
と、いろんなことが頭からぶっ飛んだ。

自分にそんなことが起こるなんて。


会社に促されて通院した先の医師は、オウムだった。
通院するたびに
「無理しないように」と繰り返すだけ。

それってどういうことなのか、さっぱりわからなくて。
たまに、突拍子もないセリフを繰り出せる、
かしこいオウムの方が、ほっこりするだけマシなのでは?
とさえ感じていた。


考えても考えても、がんばる以外の仕事の仕方や、
無理しないということがまったくわからなかった時、

「あなたは、まず、がんばらないことをがんばる必要があるね」
と言われた。
誰に言われたかは覚えていない。


言われた当時は、
あまり物事をうまく考えることができなかったことも手伝い、
「そっかー。がんばらないようにがんばればいいんだな」と、
妙に納得をして頷いてから、ずっと、
がむしゃらに、かたくなに
「がんばらないのをがんばっていた」のだった。

『がんばればなんとかなるってもんじゃない』


あれ?おかしくね?
がむしゃらとか、かたくなをやめるんじゃないんかーい!
そう自分にツッコミを入れつつ、


「がんばっても、がんばっても
がんばらないのはがんばれないし、
それって無理してることにはならないの?」

禅問答のようだけれど。
ここ最近は、そんな風に考えるようになった。

単純に、自分があまのじゃくなだけかもしれない。
でもさ。
仕事ってがんばればがんばっただけ、楽しいもんじゃない?
仕事に何を求めるか?は人それぞれなので
一概には言えないけれど。

こう考えるようになってから、長らく頭の中を覆っていた靄が晴れた。

元の働き方に戻ったの? と思われるかもしれないが、
そうではない。

サラリーマンを辞め、
おかしなしがらみから解放され、
余計なことに煩わされることもなく、
もちろん、うまくいかない日もあるけれど、
自分の意思で、自分の思う通りに、
自分の目指す方向へ働くようになったことで、
自分にとっての「がんばる」ってどういうことなのか?
わかってきたような気がした。

そして、最近やっと
「無理しないようにする」ということも理解できて、
「無理しないでがんばる」という域に、ようやくたどり着いたような気がしている。


ここで、冒頭に戻って、

『がんばった自分にご褒美!』

について。

実は今回の記事、
書き始めは「自分へのご褒美は必要ですか?」というタイトルだった。

がんばることがあたりまえ、というシチュエーションで、
常日頃からがんばらざるを得ない人たち。
自分の時間をつくることが贅沢だと、罪悪感を感じてしまう人たちについて。

ご褒美がないとやってらんないのはわかるけれど、
ご褒美が必要不可欠な日常って、どうなんだろう?
って考えたのがきっかけで。

でも今回は、まわり道。
結果的に自分の回顧録になってしまった。
きっと、そろそろ過去の整理ができるようになった、ということだろう。

さ、ご褒美に缶ビールでも飲んでから寝るとするか……笑


最後までお読みいただきありがとうございました。


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