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セピア色の桜、灰色の桜

思い出すとノスタルジックな気持ちになる桜を「セピア色の桜」と呼ぶとしたら、私にとってのセピア色の桜はいつ見たものだろうかと考えてみた。

すぐに出てきたのは通っていた小学校の中庭に植えられていた桜並木だ。

小学5年のある朝、校門を通って校舎に向かう時にグラウンドの横に植えられた満開の桜並木を見て「おお…」と感激した時のことを思い出した。
その桜並木自体は自分が入学した時からそこに存在しており毎年見かけていたはずなのに、その時に初めて綺麗だと思ったのだ。
きっと自分の中にそれまで存在しなかった「風景を楽しむ」という美的感覚のようなものがまさに生まれた瞬間だったのだろう。

その出来事をきっかけに世の中の美しいものへの興味が高まり、美しいものを自分の手でも生み出せるようになりたいと思うようになって絵を描き始め、芸術分野で花を開かせることになった…みたいな展開にならなかったのが残念である。

その後大人になってからだいぶ経つが、ついこないだ桜を見た時の感想も「はーきれいだねぇ」だった。小5の頃から語彙も感性も育っていない。


私をセピア色な気持ちにさせる桜がもう1つある。
同じく地元京都にある円山公園の有名な「しだれ桜」だ。

当時祖父母がこの近所に住んでいて、遊びに行った時に祖父の朝の散歩についてよくこの辺りを歩いていた。特別おじいちゃん子だったというわけではなく、散歩の後に食べさせてもらえるミスドのドーナツが狙いだった。

その祖父の散歩コースに円山公園が入っており、よく見かけていたのだ。
このしだれ桜は春以外の季節は割と地味な見た目をしている。
当時小学生だった私はそれが桜であることにも気づかず、見かけても「なんかでかくてへなへなした木だな」とやや低めの評価を下して素通りしていた。

これが春になるとその地味な姿が一変し、枝がまるで桜のシャワーかカーテンかというような美しい姿になっていてびっくりである。
初めてその姿をみた時の衝撃たるや。
お前…いやあなたはそんなお姿だったのですか、と思わず心の中も敬語になったほどである。

その時に私の中に尊敬の念が植え付けられたのか、今でもテレビで円山公園が紹介されているのを見るとまるで地元の先輩に久しぶりに会ったような気持ちになる。
「あ、おひさしぶりです!元気そうで良かったです!」と心のなかで背筋を伸ばし、挨拶するのだ。


さて何事も良い思い出があれば良くない思い出もある。
良い思い出がセピア色なら、悪い思い出は灰色だろうか。
ここからは「灰色の桜」編である。

社会人になって少ししてからの話だ。
当時付き合っていた彼女と淀川沿いの桜を見に出かけた。
休日にお弁当を持ち、彼女を自転車の後ろに乗せて漕ぎ出す。絵に書いたような楽しい一日を予感させる始まりである。
実際二人で満開の桜を見て回り、キャッキャ言いながらお弁当を食べるところまでは大変楽しかった。

思えば選んだ場所が悪かったのだろう。
お弁当を食べ終え、さてそろそろ片付けようかと言う段になってその悲劇は音もなく私に襲いかかってきた。

「アツッ」

突然背中を何か熱いものが流れる感触がした。何かと思って振り返って自分の肩や背中を見るが、特におかしいところはない。彼女に見てもらっても何もない。
それでも未だ背中に何かが付いているような違和感がある。服の中に手を入れ、違和感のある場所に触ってみた。
手を出してみると、何やら灰色のベトッとしたものがたっぷり付いていた。

「ギャー!」

ハトの落とし物である。

なんと枝だか電線だかにとまっていたハトが狙いすましたかのように私の首筋から服の中に爆弾を落としたのだ。鎧を着込んでもその隙間から急所を狙ってくる恐るべきスナイパーである。
あと全く覚える役に立たない情報だが、ハトの爆弾は直に当たると熱い。

その後は花見どころではなかった。
服に落とされたくらいなら気を落としつつも拭き取って花見を続けられたかもしれないが、肌に直である。一刻も早く家に帰ってシャワーで洗い流したい。

二人してそそくさと弁当を片付け、行きとは段違いの速さで自転車を漕いで帰宅した。あんなに期待に溢れた気持ちで出発したのに、帰ってきた時の気分は最低である。
彼女が終始涙を流すほど大笑いしていたのでまだよかった。いやよかったのか。


この一件は私の心に大きな傷跡を残した。
それからしばらく花見を存分に楽しめなくなったのだ。

どれほど桜が美しく咲いていても、その下を通る時はあの憎きハトが枝に止まって狙ってるんじゃないかと気になって仕方がない。桜の通り抜けなんかどこから爆弾が降ってくるか分からないデスロードである。走り抜けたいところだが大抵混雑しているので結局ハラハラしながらゆっくりと歩くしかない。

あれから年月が経ち、心の傷も癒えて今となっては笑い話…と言いたいところだが、今でもハトが近づいてきたら睨んでしまうくらいには根に持っている。


最後は桜というよりもハトへの恨みの話になってしまった。もしこれを読んだことであなたが桜の下を安心して歩けなくなってしまったなら申し訳ない。私の方は鬱憤を吐き出せたおかげかちょっとスッキリした気持ちである。



「セピア色の桜」というテーマで書きました。


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