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『人それぞれ』


『人それぞれだからね』
『君次第だよ』


皆がそれぞれ持つ自由。自由を尊重する言葉。結構なことじゃないか。様々な意見・個人としての多様性を重んじているように聞こえる。

ただし、自由を尊重している故、というわけではない場合が多いだろう。

「僕は関わりません」
「あなたを応援はするけれど、責任は負いません」

そんなニュアンスに近い。淡白?希薄?薄情?
しょうがないよ、現代の人と人との繋がりはそういうものだ。
『いつでも気兼ねなく、一緒にいて楽しく、困った時は助け合えて、時にはぶつかり合いながらも、絶対に切れず、どちらかが終わるまでずっと続いていく、美しく誠実な人間関係』を求めている。そんなものが現代ではあり得ないことを皆もう理解しているからだ。
『親友』などは、漫画やアニメの世界の話になりつつある。理想像だけが膨らんでゆく。


・・・


自由。それはつまり、各個人が作っていく人間関係にも当てはまる。

昔の時代を生きていたわけではないのであくまで想像にはなるが、オンラインという言葉すらピックアップされることのなかった時代。
人間関係の自由度は今より断然低かっただろう。家族、ご近所付き合い、仕事を通じて知り合った人々が主な人間関係で、そういったものは滅多なことでは変化しない。
どうしたって、仲が良い悪いに関わらず、周りとの関係は深くならざるを得なかった。
お昼時に隣の家にお菓子を持ち込んだ。
上司の酒とくだらない話に付き合う代わりに、腹を割った話もできた。
ケンカをしてもしっかり話し合って修復できた。
そんなところじゃないかと思う。

それが今はどうだろう。
昔に比べ、付き合う人間の自由度はかなり高いはずだ。
ネットの存在は大きい。物理的距離を越えた繋がりを僕らにもたらしてくれる。
沢山の人と出会い、自分にプラスとなるものはいくらでも吸収することができ、それを糧にまた新しい出会いへと進むことができる。

だが一方で、自由に友人を選べるということは、自由に切り捨てることもできるということだ。その点に関してはもはやネットの世界だけとは限らない。
僕たちは常にスマートフォンを使って誰かとやりとりをしている。常に誰かと繋がっている状態と言ってもいいだろう。
少し連絡が途絶えただけで、
「せっかくの繋がりがなくなってしまったのか」
「自分は切り捨てられてしまったのか」
「自分に何か悪いところがあったのか」
などと心にダメージを受けてしまう。こまめな連絡で日々不安を取り除きながらでないと生きていけないのだ。
自分の身の回りのちょっとした人間関係すら、常にこちらから積極的に働きかけ、気を使い、努力を重ねないと維持できないものになりつつある。ビジネスや人間関係が流動的な現代社会の中で、誰かの心に残ること、誰かの記憶に残ること、それほどのインパクトを残すのは誰にでも簡単にできるわけではない。
誰かがふと呑みに出かけたいと思った時にその人の頭に自分が浮かぶようになることは、実はとても難しいことなのだ。


・・・


気を使う。それ故に、ズカズカと内面まで踏み込むことを恐れる。踏み込まれることを嫌う。
そういった心理が、冒頭の『人それぞれ』という言葉に集約されていると思う。
淡白。淡白だ。
不用意なアドバイスはしない。万が一にも相手と自分が拗れることを避けるためだ。
アドバイスを求める方も、遠慮して本音の中の本音を話すことはない。拒絶を恐れて、自己開示ができない。
『人それぞれ』という概念そのものが、ちょうどよいバランスの取り方なのだろう。特に、ケンカをすれば話し合って仲直りするより連絡を断つ方が早くてラクだと思ってしまう現代においては。

難しいものだ、人間関係とは、友人とは。
努力しなければ手に入らない。全くいないと体裁が悪い。
いいね、スキ、ビュー数、フォロワー、グループ
いろんな基準であらゆるものが可視化される。
インスタグラムのストーリーに、自分がいないパーティが映し出される。疎外感。否が応でも自分のいる場所が浮き彫りになる。
他と重なる部分、重ならない部分
自分がどの輪の中にいて、どの輪の中にいないのか
あらゆる線引きが明確になり、全てが見えてしまう。
見えないのは、自分以外の本音だけ。
友人、恋愛、仕事
自らの輪を広げ全てを手に入れる為、日々自分磨きに追われる。
しかし、苦労して手に入れた関係を維持するのにまた苦労し、振り回される。
最悪の場合、手元に何も残らなくなる。

複雑にして希薄。それが今の人間関係。
LINEの友達がたくさんいても、SNSのフォロワーがたくさんいても、皆口を揃えてこう言う。
『俺/私、友達少ないからさ』と。


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僕は友人の方々はもれなく大好きです。そこにリアルもネットも、年齢も性別も関係はありません。
幸いなことに、ややこしい人も僕の周りにはいません。人のいいところを探すのが好きなので、裏側まで見えていないだけかもしれないけれど。
日々頑張って生きています。ここまで読んでくださった方々には僕が人間関係を面倒くさがってるように思えたかもしれませんが、そればかりでは決してありません。
周りの方々には本当に毎日パワーをもらっています。助けてもらっています。癒やしてもらっています。
友人ってなんなのでしょう。もっともっと単純なものであればどれだけいいだろうか、と思います。まあ、僕自身は友人関係であまり深く考えてきたり悩んだりしたことはないのですが。
ただ、これだけ周りに人がいて、いわゆる『親友』と呼べる存在もいて、恵まれているのは間違いないのに、ふとした時に感じる寂しさや独りぼっちだという感覚について考えてみたくて今回のnoteを書いてみた次第でございます。

これを読んで、あなたがどう思うか、どう感じるかは僕にはわかりません。共感をいただけるかもしれないし、愚かな暴論に感じることもあるかもしれません。
そのあたりは、あなたなりの解釈をお願い致します。

なんたって、主義思考なんて

『人それぞれ』

ですからね。

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