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入稿から下版まで、フルリモートで1冊つくって気づいたことと、最後に一度だけリアルでやった「ある作業」について

6/17配本で、『Spotify――新しいコンテンツ王国の誕生』という本を刊行する。Spotifyの誕生からこれまでをまとめた、世界で初めての本(スウェーデン語)の翻訳書。

しかし、今から書くのはその宣伝ではなく、それどころか内容とも関係のない製作過程についての個人的なエピソード、だ。

いや宣伝しろよ、という関係各所からの声が飛んできそうだが、なんでそんなことを書こうと思ったかというと、

「入稿から下版まで、在宅勤務の状態(フルリモート)でこなした」

にもかかわらず、

「最後の最後、ある作業のために、およそ2か月ぶりに電車に乗って出かけていくことになった」

ことで、書籍という「ものづくり」の本質を見たかのような感覚を得たからだ。

「在宅勤務」で本はつくれるのか――ゲラ出し、赤入れ、カバーデザイン

4月に緊急事態宣言が出され、所属している会社も出社が原則禁止になり、次男(2歳)を保育園に預けられなくなった(これはまだしばらく続きそう……)。仕事をするにはなかなか厳しい状況だが、あえてこんなふうに前向きに捉えて、もがいてみることにした。

「在宅で、どこまで本づくりができるのか?」

出社しないとなると、自分にとっての一番のネックは、ゲラを印刷できないことだった。自分用のゲラ、著者(訳者)に送るゲラ、校正者に送るゲラ、デザインチェックのためのゲラ……と関係者の数だけ増えるコピーが、初校、再校と進む度に印刷され、送られ、また自分の手元に戻ってくる。1冊仕上げた後には、確認済のゲラを(罪悪感とともに)大量に廃棄することになるが、知らない人が見れば「こんなに紙を捨ててるの!?」と驚くと思う。それだけ、普段は紙を使っている。

なので、僕にとって、在宅での本づくりは、必然的にペーパーレスを目指すことになった。

だが結論から言えば、「在宅×ペーパーレス」での本づくりは、まったく問題なかった。すでに実行している人からは、そんなの当たり前だと言われそうだけど、今回こうして制約が生まれたことで、具体的に実行に移せた、というわけだ。

・翻訳者とのやり取り
翻訳者の池上さんとは、相談のうえ、ゲラのやり取りはPDFで。

・校正者とのやり取り
いつもお世話になっている鷗来堂さんとも、PDFデータでやり取り(鷗来堂さんでゲラのプリントアウト、及び配送もあったけれど、スキャンしたPDFデータをお戻しいただいた)。

・デザイナーとのやり取り
今回、ブックデザインはコバヤシタケシさん。そもそも首都圏にお住まいでないので、デジタルデータでのやり取り。

・編集者の動き
ゲラへの赤入れは、iPad Proで。訳者の池上さんや校正さんからの赤字ゲラをPCの画面に映し、それを手元のiPad Proに転記。カバーデザインへの赤入れや指示も、画面上で完結。スクリーンを見っぱなしで、ずっと目はしょぼしょぼだったけど、作業そのものは快適そのもの。

・その他
企画書の作成・提出をはじめ、社内調整はもちろんオンラインで。

結局、在宅で徹夜してしまうなど無駄にハードな局面もあったけど、作業そのものは思っていたよりもスムーズに進む。 

「リモートでも、本はつくれるんやなあ」

変われない、というのが思い込みであることは、それこそビジネス書ではよく言われることだが、自らの身でそのことを感じたのだ。

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PCで表示した校正ゲラの赤字を、手元のiPad Proに転記して作業を進めた


自分だけフルリモートでいいのか――忘れてはいけない「感謝」

さてここまで、まるで自分の力で成し遂げたかのように見えたかもしれないが、実態はまったくの逆。フルリモートでの本づくりは、もちろん自分ひとりが家にこもっていたら自動でできるようになるものではない。さまざまな人に支えられて可能となったことであり、引きこもっている分、支えられていることを強く実感することになったのだ。印刷の段取りや、紙の手配など、挙げればきりがない。そうした「支えられた経験」が顕在化したことも、今回書き残したいと思った理由のひとつだ。

特に強調したいのは、今回のことがなければ気づけなかったかもしれない、物流を担う方々の働きの大きさ。

いくらゲラをデジタル上でやり取りしようと、本づくりの終盤では、どうしたって印刷物のやり取りが増えてくる。今回は、「自宅に送ってもらう」で対応した。たとえば……

 ・束見本の自宅への配送(ヤマト運輸)
 ・色校正紙の自宅への配送(ヤマト運輸)
 ・白焼の自宅への配送(ヤマト運輸、戻しはバイク便(T-serv))
 ・色校正紙(2回目)の自宅への配送(バイク便(T-serv))

自分が会社に行かない(行けない)ことで、これだけの「ものの移動」が発生した。

以前のnoteでも「物流を担ってくれている方への敬意なくして、果たして本当に『本を届けた』と言えるのだろうか」と書いたけれど、届ける以前の製作過程においても、移動を担う人あって初めて、本づくりを進行することができたのだ

実際、届いた色校正紙を見て、最初にこみ上げてきたのは、届けてくれた方への感謝だった。恥ずかしながら、そんなことは初めてだった。

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写真は切り出した色校正紙を、束見本に巻いてみたところ。

こうして無事下版し、在宅ですべての工程をやりおおせた、と一安心。

「やればできるやん」

「極力ペーパーレスも、やってやれんことはないな」

感謝とともに、そう思っていたのだが……。最後に、本づくりのさらなる奥深さを実感することになる。


在宅勤務後、初の移動。どこへ向かい、何をしたのか

カバーや帯の色味についても、2度目の校正紙で概ね方向性が見え、注意すべき点なども共有できたいた。ところが、そこに一本のメール。

印刷所に。

来てもらえませんかと。

なるほど。色が合えば一発だけど、合わなければ判断の難しそうな装丁ではある。

インキ自体は調合済のものを使用しているが、デザイン上、スミと蛍光グリーンの掛け合わせ(スミの上に蛍光グリーンをノセる)と、抜き合わせ(スミと蛍光グリーンを重ねない)、その2つが混在していて、たしかにややこしい。抜き合わせは、版ズレ(スミ版と蛍光グリーンの版がズレてしまう)も怖い。

ではどうするか。

そう、印刷所に、行くしかない。いわゆる「立ち会い」だ。

いつもお世話になっている、飯田橋の加藤文明社さんへ。ちなみに、トーハン本社の真横。

毎度丁寧な対応をしていただいているが、結局はこの日もばっちりだった。インキの盛り具合などを確認しつつ、版ズレしないよう少し調整していただいて終了。

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最終的にOKを出した刷り出し。いつもありがとうございます。


「場所に縛られない仕事」だけど、やっぱり最後は

編集の仕事は、ある意味場所に縛られない。原稿整理から、入稿、下版まで、在宅でこなすことができた。実際、今日が2か月ちょっとぶりの出社だったわけで(印刷所の帰りに立ち寄った)。

でも、印刷所に来てカバーの印刷に立ち会ってほしいと言われたとき、「行く」と秒で決断した自分がいた。

「コンテンツをつくっているんだけど、やっぱり最後はものづくりなんだよなあ」

印刷所でインキのにおいをマスク越しに感じ、ルーペを覗き、ガションガションと刷りあげる印刷機の音を聞きながら、心の中でそうつぶやいた。

フルリモートで1冊つくりきった先で、本づくりの奥深さに改めて触れることができるなんて――印刷所からの帰り道、静かに感動していた。

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(この記事でもし『Spotify』が気になったという方のために、リンクを貼っておきます)



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