恋について考えてたら人生の指針についてまでも考え始めていた

気付いてたら胸の前で手を組んで、お祈りポーズで魅入っていました。
家宝にしている、お気に入りのバンドのライブ映像のブルーレイ。
パソコンで再生しているのをワイヤレスイヤホンで聴いて、BGMにし、夜の寝る前の準備をするのが私の日課です。
そう、あくまでもBGMとして流しているだけだった。
の、です、が、ここ最近準備の手を止めてパソコンの画面を食い入るように見つめてしまうことが多くなりました。
バンドでボーカルとして生きている彼は、身近にいるどの男性よりも、人として、男性として魅力的です。
彼が今の彼になるべくしてなった経緯はもちろん、ボーカリストとしての技術の高さ、作詞作曲センス、ステージ上での存在感、等々、、、
魅力的な箇所を挙げたらキリがありません。
そんなに彼に対する心持ちが、なんだか良からぬ方向に変化してきているような気がします、ここ最近。
良からぬ、なんてことは無いのかもしれませんが、この変化は後々確実に私の首を絞めるだろうという予感しかありません。

手の届かない存在に焦がれるほど心が苦しくて痛むことは、この世で最も辛いことのひとつです。
叶わぬ恋って、辛いでしょう。
叶わないのに見続ける夢って、辛いでしょう。
そんなことを考えていたら、段々と賢者モード笑なるゾーンに私の思考が突入してきました。
絶対交わることのない人に想いを寄せる空虚さ、そしてその間もなんの意味もなく進んでいく私の人生の秒針。
私は何をしているのだろう。
何も手に入れられていないこの状況に苛立たしくなってきました。
こんなことを悶々と考えていたら、ふと気付きました。
私がなぜ大学が嫌いかって、大学が若者達にとってモラトリアム期間として存在していることが嫌、ということに気付いたのです。
モラトリアムなんぞ私にとっては不必要なものなのです。
一刻も早く何者かになりたい、慕う人に人間性のレベルという観点で近づくため、少しでも恥じない存在になるために、わたしにモラトリアムなど過ごしている暇などないのです。
私の歌唱力では歌手にはなれない(センスが無さ過ぎる)、演奏者になるにはスタートが遅過ぎる。
ということで、何かしらになれるとすれば文章を書く人間として大成することが、今の所私にとっての現実的な道である、かも、しれない。
とにかく私は大学で講義なんて受けてる場合じゃない。
今すぐ動かなきゃならない、と考えた。
まずはある程度分量のある文章を書けるようになるところから始めなければ。
好きな人に恥じない自分であるために、出来る限りのことはする(あわよくばビッグになって一度間近でお会いしたい)。
ここまで書いてきて思ったことは、私の原動力が恋愛感情である、つまり私って割と恋愛脳なのでは、、、という、、、こと、です、、、。
今年で22歳になるというのにバンドマンにリアコって大丈夫でしょうか。
先が思いやられます。
だって身近に彼以上にかっこいい人いないんだもーーーん!!!

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