屋上から飛び降りる、それは解決策になるのだろうか?

他人を許したら自分自身のことも許せるようになる、なんて言葉がある。
この言葉通り、過去に因縁があった人を許せた人は呪縛から解き放たれ、
自分が歩むべき道を真っ直ぐに歩み始めることができるのかもしれない。

では、他人のことを許せる気配が全くない人の末路は一体どのようなものなのか。

私には、今までの人生の中で、許せないという気持ちを抱いた人間が何人もいる。私の時間は、許せないという気持ちを抱いた瞬間から秒針が動くことはなく、ずっとその瞬間に閉じ込められたままだ。
けれど、私がその瞬間に閉じ込められたまま、この一分一秒が過ぎていく合間にも、彼らの秒針は着実に時を刻んでいて、未来に向かって歩みを進めている。

許せない気持ちを抱えたまま生きることは、生きながら死んでいるようなもので、私の人生の貴重な時間の一部を彼らに奪われたと言っても過言ではない。
のに、今この瞬間も彼らは幸せな瞬間を享受し、のうのうと歩みを進めている。

到底許せるはずがない。

大学の比較的新しい校舎は7階まである。
屋上に行ってみたことは無い。
が、そこから飛び降りて、センセーショナルな事件として世間に広めてやろうと思ったことが幾度となくある。
もう自分自身が消えた方が楽なのだ。

しかし、もうひとつの考えが最近芽生えてきた。
今彼らが得ている大切なもの、存在を、10年後には全て失えばいい。
代わりに、10年後の私が欲しいものを全て手に入れる。
私に足りないものを全て手に入れて、完全体になって、
落ちぶれた彼らを屋上から見下ろすのだ。

このメンタリティをかろうじて持ちつつ生きていくしかないのでは、
と最近は思い直している。
通学中に車に撥ねられたり、頭上から工事現場の資材が落ちてこない限り、嫌でも人生は続いていく。
ならば、彼らの10年後の悲劇を呪いながら、薄暗い希望を抱きながら生きていくのが私にとってのある種の救いであるからだ。

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