見出し画像

口コミは、お店の人へ綴る置き手紙

対価を支払っているのは空気感

最近、体調が思わしくなかったり、外に出たくなかったりするときは、Uber Eatsに頼ってしまう。
外に出ずとも、誰にも顔を合わせなくとも、家で待っているだけでお店の料理を届けてくれる。画期的なビジネスだ。

あるときのUberの注文。いつものようにドアの前に置かれた、ビニール袋に入った食事と一緒に、1枚の紙が入っていた。評価すると、クーポンをプレゼントするとのことだ。

普通に美味しかったし、機会があればまた利用するかもしれないと思った。しかし、評価をつけられない。美味しいと頭では思っているはずなのに、なぜか心が動かない

もちろん、そもそも外に出たくなと思っている時点で、気分が上がっていない状態だ。今までなら、何も食べずに家にあるお菓子を貪るとか、ふて寝をするとか、もっともっと虚しい思いをしていたのだから、Uberにより幸福度は少し上がっていることには違いない。
それでもまだ虚しさを感じる理由は、その味を作り出してくれる人の顔が見えず、空気感が伝わらないからではないだろうか。

高級店であろうとリーズナブルなお店であろうと、そのお店には、あらゆる歴史が詰まっている。
お店を立ち上げようと思ったときの決意、お客さんに喜んでもらうための試行錯誤。
そういったものが、お店の空気には滲み出ているのかもしれない。

無機質なプラスチックの容器に入れられた食事からは、その空気感は伝わってこない。

口コミは置き手紙

わたしは外食したとき、口コミサイトに投稿することを習慣にしているので、自分なりの評価基準が備わってきていると思っている。
とはいえ、「味に何点、盛り付けに何点」などと明確に決めているわけではなく、食べ終わったときの心の状態を点数にしているにすぎない。

改めて自分の評価を見返してみると、味はもちろんだが、お店の雰囲気やお店の人との会話から見え隠れするサービスやこだわりなどが、評価に大きく影響していると感じた。

わたしは口コミを、お店の人への置き手紙を残すような気持ちで書いていたのだ。
手紙を書こうと思えるのは、きっと顔が見える関係だから。美味しいかったり、気持ちの良いサービスを受けたら、お礼を言いたい。たとえ自分の舌に合わなかったり、サービスが気に入らなかったとしても、「こんな風に変わってくれたらもっといいな」と伝えたい。もちろん、「このお店最悪!」なんて感情になることも稀にあるけれど。

いずれにしても、そこには感情が乗っているのだ。だから手紙が書ける。
Uberの食事を評価できなかったのは、顔が見えないからなのかもしれない。

便利になると考えなくなる

note CREATORS FESTIVALで谷尻誠さんが言っていた言葉が身に沁みる。

わたしはUberを批判するつもりは毛頭なく、むしろ感謝している。
誰しもそういうサービスが必要なときって、あるはずだから。

でも、なるべくなら作り手のわかる食材や器に想いを馳せながら自分の手で料理を作りたいし、作ってくれた人やそのお店の纏う空気を感じながら料理をいただく体験に対価を払いたい。
きちんと思いが込められたものには、心が動いていくのだとわたしは思う。

便利で安価なものに身を委ねすぎず、地に足をつけて生きていくことを、心がけていこう。

この記事が参加している募集

#習慣にしていること

130,517件

#最近の学び

181,393件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?