ウガンダ人女性、イブリンとの出会い ~フォート・ポータル滞在記~
ガタガタガタガタガタガタ…
赤土のでこぼこ道を走るバスの車体が上下に大きく揺れて、天井に頭をぶつけそうになる。席から転がり落ちないように、前の座席に必死にしがみついた。
車窓から、緑豊かで広大な大地を眺めて思う。
「この町、きっと好きになるな」
2016年10月、私はアフリカ東部の国、ウガンダを旅していた。日本を出て、もう9ヶ月が経つ。
喧騒に満ちた首都カンパラからバスで約5時間かけて、コンゴ民主共和国との国境に近いウガンダ西部の田舎町、フォート・ポータルに到着した。
◇
この町で忘れられない出会いがある。
宿周辺を散策していたある日、道端で出会ったウガンダ人女性と仲良くなった。それがイブリンだった。初対面にもかかわらず、「今から私の家に遊びにこない?」と私を招待してくれたのだ。
イブリンの自宅には広い庭があり、鬱蒼とバナナの木々が生い茂っていた。ここに生えているのは「マトケ」という甘くない緑色のバナナ。ウガンダ人の主食である。
イブリンは24歳で、夫と2歳の息子との3人暮らし。彼女は小学校の先生として働いているらしい。
「ランチをご馳走させて」というイブリンのご好意に、ありがたく甘えることに。マトケを使った料理を作ってくれるみたい。
彼女がナイフでスルスルと、器用にマトケの皮を剥いていく。その作業が終わるまで、小さな部屋のなかで、私たちはいろんな話をした。お互いの国のこと、彼女の仕事や私の旅のこと。
日本の「過労死」の話になった。
彼女は自らの生活苦についてもふれ、ジッと私の服や持ち物を眺めて、「裕福なあなたが羨ましい」と言った。それを聞いて私は居心地の悪さを感じた。
24歳のイブリンと、26歳の私。年齢はほぼ同じなのに、互いの住む世界はまったく違っていた。世界を自由に旅する私は、彼女からすると明らかに「富める者」だった。
そんな感情を抱いたのは、一度や二度ではない。旅先で出会った現地人に、あえて「世界各国を周遊中で…」という話をしないこともあった。
昨夜、宿のスタッフが、私の部屋のゴミ箱を当たりまえのように漁っていたことを思い出す。
イブリンと一緒に笑い合う時間はとても楽しく、一方で互いのことを知れば知るほど複雑な気持ちになった。
世界はなぜこんなにも、不平等で理不尽なのだろうか。
◇
マトケの皮剥きが終わると、イブリンは庭に出て、かまどにくべるための薪を割り始めた。
ぐつぐつぐつ。食材を煮込んだ鍋の中に、ピーナッツの粉をベースに作った「ジーナッツ」と呼ばれるソースを投入していく。
息子のジョダンは恥ずかしがり屋のシャイボーイ。ときおり見せるはにかんだ笑顔がチャーミングだ。
母親が料理する様子を見て、ジョダンが「僕もやりたい!」と鍋に手を近づけると、「危ないでしょうが!」と叱られてシュンとなっている(笑)。
完成したのが、マトケとナスをジーナッツソースで煮込んだ一品。恐る恐る食べてみると、程よい塩味があり、マトケはサツマイモのような食感で、想像以上のおいしさ!
あっという間に完食してしまった。イブリン、ごちそうさま。
しばらくすると彼女が、「私の勤務先の学校に遊びにこない?」と提案してくれたのだ。
◇
イブリンの自宅から徒歩10分ほどの場所に、こぢんまりとしたかわいい小学校が佇んでいた。生徒数は140名ほどらしい。
校内に入ると、ラベンダー色の制服に身を包んだ弾ける笑顔の子どもたちが、手を振って出迎えてくれた。そして私に「わぁー!」と駆け寄り、抱きついてきてくれるのだ。なにこの天使たち……
彼らはキラキラした瞳で私を見上げ、私の髪の毛を触りながら「いいなぁ~、長くて綺麗だねぇ~、可愛いね~」としきりに褒めてくれた。
彼らの髪は短くてクルクルしている。私からするととてもキュートなのだが、ウガンダでは長い髪の毛に憧れをもつ人が多いようだ。
休み時間になると、子どもたちは一斉に校庭へと駆け出す。滑り台にできた長い行列に驚いた。
ブランコも定員オーバー。生徒数に対して遊具の数が少ないため、どうしても取り合いになってしまう。
私も子どもたちといっぱい遊んだ。即興でつくった「バナナの歌」を一緒に歌ったり、「けんけんぱ」など日本の遊びを伝授したり。彼らのピュアな笑顔に心が浄化される。
子どもたちとひとしきり遊んだあと、ベンチに腰かけているイブリンの元に行き、お礼を伝えた。
小学校には2日連続でお邪魔した。別れ際には子どもたちから葉っぱのプレゼントをもらい、イブリンには感謝のメッセージをしたためた折り鶴を渡した。
フォートポータルで過ごした時間は幸福感に満ちていて、予想通り、私にとって思い入れのある大好きな町になった。
◇
ウガンダを去ってから5年。イブリンからは「みく、元気?」と定期的に連絡があった。なかには金銭的な支援を乞うものも。
「今年、自分の学校を建てたいの。でも資金が足りない。夢を叶えるために、あなたの支援が必要なの」
それは私にとって、返事をするモチベーションを消失させるものだった。最初の方は返信をしていたが、彼女の連投メッセージに次第にプレッシャーを感じるようになり、やがては無視するようになった。
今はもう、彼女との交流は途絶えている。
私を薄情だと思う人もいるだろう。イブリンの気持ちも想像できる。でも私はただ、損得勘定抜きに、彼女と純粋な友達でいたかった。そして彼女のなかに、それとはまた別の感情が垣間見えたことが悲しかった。
メッセージを無視するなんて、申し訳ないことをしてしまった。そう悔やむこともある。でも一体、どうすることが正解だったのだろう?
イブリンへの感謝の想い、彼女のメッセージへの不快感、無視したことの罪悪感、そのすべてがリアルで、複雑に絡み合っていた。今でも答えがわからない。
世界はやっぱり不平等で理不尽だ。それでも私はあらゆる壁を越えて、真の友情を築きたい。そう思うのは、エゴなのかもしれない。それでも…
「イブリンは元気にしているかな?学校を建てられたかな?」
彼女のことを、ふとした瞬間に思い出す。旅先での一つひとつの出会いや、そこから喚起された感情や思考、そのすべてが今日の私を作っている。
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