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【支援の本質とはなにか】高山良二さんに3日間の同行をして(後編)~ バッタンバン州タサエン村~

前編はこちらから▼


IMCCD(国際地雷処理・地域復興支援の会)の宿舎には、高山さんの専属通訳として働くソックミエンさんと、そのご家族も暮らしている。

朝も夜もみんなでテーブルを囲み、和気藹々と食事をする。笑いが絶えない空間で、あたたかくてホッコリ。

みんなで食卓を囲む

タサエン村で3日間を過ごすなかで、高山さんは何度も「支援とは本質を見据えたものでなければいけない」と繰り返した。

「支援の本質」とは、一体なんなのだろうか。


高山さんの支援活動は、地雷撤去処理のみならず多岐に渡る。たとえば「井戸建設」だ。

ある日、井戸建設の要望があった村の視察に同行させてもらった。現地を見て、本当に井戸が必要なのか確かめるという。

出発前に、その村を管轄する副郡長と打ち合わせ。会話はクメール語なので、ソックミエンさんに電話をして通訳をしてもらう。

「言葉ができなくても、工夫すればなんとかなるよ。大切なのは、キーパーソンとなる優秀な人材を見つけることです」

村の副郡長と打ち合わせ

タサエン村から車で2時間、延々と続くデコボコ道を走った先に辿り着いたのは、奥地の貧しい村だった。

副郡長によると、この村には150世帯が暮らしているらしい。高山さんは現地を一目見て、井戸建設の要望にOKを出した。視察に要した時間はわずか10分だった。

「どんなに重要な案件でも、本質さえ見極められれば、着実かつスピーディーに遂行できます。そのためには、とにかく現場を知ること。現場に足を運んで、現地の人とコミュニケーションをとって、ニーズを見極めるんだ」

井戸建設が決まった村の人々と記念撮影

井戸建設の費用は、日本の支援者からの寄付金で賄われている。

「大切なのは“支援者と同じ目線に立つこと”です。支援を募ってあとは丸投げでは意味がない。どんな井戸が完成して、現地でどのように役立っているのか、私たちは報告し続ける責任があります」

高山さんは常にカメラを持ち歩き、現地の様子を撮影していた。その写真は、IMCCDのホームページで随時更新される「支援者からの寄贈報告」に使われている。

支援者の立場からすると、自分の支援がカンボジアの人の笑顔に繋がっていると実感できて、すごく嬉しいと思う。

タサエンの村人から「ター(おじいさん)」と慕われる高山さんは、月に数回、彼らの結婚式に招待される。結婚式の参加は、村人との大切なコミュニケーションでもあるのだ。

ピンクの丸はすべて結婚式

ある晩、私も結婚式に参加させてもらうことに。会場に到着すると、ものすごい人!ざっと200~300人くらいはいるだろう。

新郎新婦、ご両親と記念撮影

テーブルの席に着くと、次から次へと豪華な料理が振る舞われる。

牛肉の炒め物のような料理が美味しくて、モグモグと頬張っていると、そのなかに潜む物体に気付きゾッとした。高山さんに恐る恐る尋ねる。

私「た、高山さん……これってもしかして……」
高山さん「あぁ、蟻だね」
私「…………\(゜ロ\)(/ロ゜)/!!」

次々に運ばれてくる料理

会場で顔を合わせた村人たちと会話を交わす。私はクメール語が話せないので、簡単な挨拶程度だが、みなさんフレンドリーで優しい。

結婚式ではユニークなパフォーマンスが盛りだくさん。両家の父親同士で手を繋いで登場したり、新郎新婦がロマンチックなダンスを披露したり。両家でみかんを分け合って食べるという謎の儀式も行われた。

みかんと食べ合う新郎新婦

突然、クラブミュージックのようなアップテンポな曲がかかり、みんなノリノリで踊りだす。

高山さんもステージに上がり、歌を大熱唱していた。なんとも賑やかで楽しい夜だった。



高山さんは現地の雇用創出のため、日本企業の誘致も行っている。

100円ショップの下請けである水引工場を見学させてもらった。みなさん一生懸命作業をしている。

工場内では幼い子どもを抱く母親の姿をちらほら見かける。子どもの世話をしながら働ける環境のようだ。

高山さんが、流暢な日本語を話すカンボジア人女性を紹介してくれた。彼女がまだ少女だったころ、高山さんが「君の夢はなに?」と尋ねると、「何もありません」と答えたそう。

しかし現在、彼女は工場で重要なポストにつき、やりがいをもって働いているという。高山さんのもとで着実に人が育っている。

「高山さんと出会い人生が変わった」と話す女性


高山さんが建設した小学校を訪問させてもらった。我々が到着した瞬間に、靴を綺麗にそろえ、ゴミを拾う子どもたちの姿に驚いた。

「支援される者としての責任もある」と考える高山さんは、支援を当たり前として享受させるのではなく、一定の条件を課すようにしている。

「子どもたちにゴミ拾いと靴の整理整頓を習慣づける」と言うのは、高山さんが学校建設の要望を承諾した際、村人と交わした約束だった。

「支援の本質はハードではありません。ソフトな部分を育てることです。学校を建てて終わりでは、ハード面しか見えていません」

高山さんは教室に入ると、女子生徒2人に「TAKAYAMA」という文字を見せ、「読めるか?」と尋ねた。すると2人とも正しく「タカヤマ」と答えた。

「2年前、この子たちに同じ質問をしたときは全然答えられなかったんだ。よく頑張って勉強したね」

学校の敷地内には、高山さんが建設した井戸がある。高山さんは井戸の水を汲み、水をひと口飲んで「うん、おいしいね!」と笑った。

「井戸だって、作って終わりではだめだ。責任を持って、管理やメンテナンスを継続しなきゃいけない。中途半端な支援では意味がないんだよ」

みんなでピース!

視察の帰り道、高山さんが車内で突然、「宿舎に着いたら、みくちゃんに日本語学校の先生を体験してもらおう」という。思わず「えぇ!」と声が上ずった。

「ぜんぶ任せるよ。好きなように授業をしてくれればいいから」

教師経験なんてもちろんゼロの私。「高山さん、なんて無茶ぶり……」とプチパニックになりつつも、せっかくの貴重な機会をいただいたので、挑戦することに。

先生デビューの舞台は、宿舎に隣接する高山さん運営の日本語学校だった。

教室で生徒を待っていると、彼らは綺麗に靴をそろえ、「失礼します!」と礼儀正しくお辞儀をして入ってくる。みんな優秀すぎんか……

お辞儀をして教室に入る子供たち

私が「こんにちは」と日本語で挨拶をすると、子供たちは大きな声で「こんにちは!」と返してくれた。キラキラな笑顔で可愛い。

慌てて考えた授業内容は、まず日本語での自己紹介。「私は〜が好きです」「私は〜が嫌いです」といった形容動詞の使い方を説明する。

人生初の先生体験

それから天気について。「たいよう」「くもり」「あめ」「かみなり」などの単語を、絵心ゼロの私が黒板に描いたイラストを指しながら読み上げ、みんなにも復唱してもらう。

私「これ分かる人ー!?」
生徒たち「はいはーい!!!」

元気よく「はーい!」

みんな勉強熱心で、質問をすると一斉に手が上がる。

それから人間の体の部位の名称について、「はな」「くち」「め」と平仮名を書き、みんなで読み上げる。

絵心ゼロのイラスト

生徒たちが一生懸命にノートをとってくれているので覗いてみると、私の下手くそなイラストを丁寧に書き写してくれているじゃないか。

「なんてものを書かせてしまったんだ……」と土下座したい気持ちになると同時に、私よりずっと上手で恐れ入った(笑)。

翌日も教室を訪れると、「昨日教わったこと、全部覚えたよー!」と誇らしげに報告してくれた。みんなすごい!!

とある先生のお誕生日で、そのお祝いに私もちゃっかり混ぜてもらった。みんなで顔にケーキを塗り合いカオス状態に(笑)。

3日間の同行を通して、私は高山さんがいう「支援の本質」を、少しずつ理解し始めていた。

本質って、実はすごくシンプルなものなんじゃないか。固定観念も既成事も全てをとっぱらって、一歩引いて見つめたときに浮かび上がってくるもの……。

高山さんの平和構築への種まきは、すでに芽が出始めている。自立復興に向けて、タサエン村は着実に歩みを進めていた。




最終日の夜。私のために焼肉パーティーを開いてくれて、おいしさと優しさにジーンとする。

焼肉パーティー

出発の朝、高山さんやデマイナーの皆さんが、わざわざバス停までお見送りに来てくれた。バスの窓から覗くと、みなさんが笑顔で手を振ってくれている。

涙が滲んだ。
ありがとう! きっとまた帰ってきます。


あれから6年。タサエン村で過ごした3日間はあまりにも濃密だった。高山さんからの学びは人生の糧となり、ずっと私の中に生き続けている。

現在も高山さんは日本とカンボジアを行き来しながら、地雷撤去処理や井戸建設、最近ではタサエン産焼酎をフランス開催の国際見本市に出展するなど、精力的な活動を続けている。

こんなかっこいい生き方をする人に出会えて幸せだ。私も一度きりの人生、もっと楽しく、もっと全力で生きようじゃないか。

コロナ禍もだいぶ落ち着いてきた。そろそろ高山さんや村の人たちに会いに、タサエン村に帰ろう。


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