見出し画像

つまらない中傷と嫉妬の仕組み


中傷、嫉妬とは個性の顕現である。さらに言えば、彼自身の所属する環境の表出でもある。

そもそも、人はむやみに自身を否定しない生き物だろう。と言うところは自身の否定は、普段それが良い、悪いの意味を持たないものであるにも関わらずあえて、それに悪いという意味を持たせる行為であるからだ。


それならば、もし、目の前に自身とは真逆の性質を持つ人があったらどうなるだろうか。眼前の彼を認め、賞賛することは自身の否定に他ならない。ならば人がなす道は、必ず賞賛未満のそれであるだろう。中傷、嫉妬の誕生だ。そして相手の存在が稀有であればあるほど、相手に対する否定の度合いは高くなる。

これは人の集合体にも当てはまる。どういうものであれ、規範、慣習とはそれが人の共通認識であることにおいて絶対的な価値を持つ。世界とはあるものでは無く、規範、慣習によって人が作るものだ。その世界を否定すること、その世界に当てはまらないということは同じ世界に住んでいるにもかかわらず、その規範、慣習の破壊を試みることだ。その世界を平穏なものにするには絶対的価値は不可欠なのに。

しかし、その世界は作られたという時点で絶対的なものではない。破壊をしてはいけないものではないのだ。

哲学の祖、ソクラテスは破壊神だった。彼は死刑されたが、それは彼が、罪を犯したからではなく、彼がつまらない中傷と嫉妬を受けたからだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?