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梅雨の季節の出来事


父の命日

 もうすぐ、父の命日がやってくる。
毎年、雨がひどく降った。
どしゃぶりの雨の中、集まってくれる親戚に、申し訳ないぐらい。
そして、『 雨は空の涙。空が、一緒に泣いてくれている 』と、
私が思えるぐらい。
とにかくずっと、雨だった。

父の財布

 父の財布が、だいぶくたびれている事を、私は知っていた。
父の日には、新しい財布を、用意しようと思っていた。
 しかし、そうするよりも先に、父が緊急入院した事を知る。
突然の交通事故だった。
父は、すぐに大きな病院に移り、ICU( 集中治療室 )で、
治療を受けた。
父の容態は、行ったり来たりで、私たち家族は、待合室に
張り付いた。
私たちは、その場を離れるゆとりもなく、食事もろくに
摂っていなかった。
食事をするのも忘れていたのだ。

父との別れ

 一旦、家族で、自宅に帰った事があった。
でも、すぐに電話で、病院へ呼び戻された。
ICU に駆けつけると、中に入るよう促された。
父のベッドに近づくと、看護師さんから、
「 手を握ってあげてください。」と言われた。
私は、むくんだ父の手を握った。
「 お父さん、行かないで。お願い、しっかりして。」と
叫んでいた。
その声は、父に届いた。
父は、しばらくの間、持ち直したのだ。

それでも、2度目に父のベッドへ呼ばれた時、私は、
「 もういいよ。お父さんは、充分 がんばってくれた。」と思った。
でも、声には ならなかった。
そして、別れの時がきた。

別れの儀式

 通夜から葬式まで、たくさんの人が、父との別れに来てくれた。
家族の『 別れの儀式 』として火葬場に行く時、母は一緒に行けなかった。
父は、まだ若かった。
火葬場で、もし母が泣いてすがったら、未練が残って、父が成仏出来ないと
言われた。
私は、喪主の母の代わりを、務めることになった。
悲しみで、頭がいっぱいの私は、何か説明を受けても、まったく頭に
入らなかった。そして、何も出来なかった。
そんな時、側で世話を焼いてくれたのが、父の姉にあたる伯母だった。
スッと寄り添ってくれて、一緒に母の代わりを務めてくれた。

葬式が終わって

 私は、父が亡くなってから、悲しかったのに、まったく泣けなかった。
一滴も涙が出なかったのだ。
ひと通りの儀式を終えて、参列してくれた人達が帰ろうとした時、突然
感情が込み上げてきた。
「 私、まだ何にも親孝行してないのに。」
その言葉を口にした途端、うわぁーっと涙が出てきた。
驚いた親戚の1人が、
「 おじさんもまだ、おばあちゃんには孝行できてないよ。気にせんでよか。」
そう言って、慰めてくれた。

親戚の人達を見送って、寂しくなった。
4人家族が、3人家族になったんだ。

母方の祖母は、母を心配して、しばらく残ってくれる事になった。
悲しみに、慣れる時間が必要だった。


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