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不良と優良

アニメやドラマで、不良が更生するくだりがたまにある。それ自体がテーマとされていることもある。

僕はあの流れが、どうにも震える。うるっとくる。
このあいだ、Amazonプライムで火ノ丸相撲というアニメを見ていた時も、涙が出た。

相撲部を荒らしていた不良グループのリーダーが、主人公により無理やり相撲部に入れられることになるのだけど。練習や交流を経るうちに自分がなにを踏みにじっていたか自覚していく。

そして、その不良はかつて習っていた空手道場に頭をさげたり、試合でがむしゃらに吠えたりする。そんなのを見せられたら、僕はもうたまらないんだ。

こういう流れを嫌いな人もいる。理由もわからなくはない。いまさら反省されても、お前のやってきたことは消えないという、憤りだ。
そして特に聞くのが、「お前が更生して行ったちょっとなんて、ずっと僕らがしてきたことだ」っていうもの。

分かる。言いたいことはよく分かる。日陰に追いやられてきた僕達だ。心に沸き立つのだろう。
お前は、僕らの土俵まで奪うのかと。お前は闇を知らず、また踏み荒らすのかと。
・・・その気持ちを、僕だって持っている。

でもさ。社会人になって、仕事してさ。人それぞれ能力があるって、知ってるじゃないか。
新入社員に優しく指導できる人が、なぜ不良に寄り添えないのだろう。

見下しているとかじゃなくて、子供と同じだ。その一歩を、なぜ褒めてあげられないのだろう。
それを否定してしまったら、どこにも行き場所なんてないのに。

勇気というものを、否定されては悲しい。その後ろに、どんな罪があっても。
たとえ大勢の人を殺した大罪人でも、愛すべき恩人が来ているのを知っているなら、処刑場にあがるその一歩は褒められてしかるべきじゃないか。

こういう気持ちを、僕は忘れずにいたいと思う。何が正しい、何が悪いとかじゃなくて。そいつがどれだけ削られたのか。どれだけ心を使ったのか。
そこに寄り添うのが優しさじゃないか。

あんな年になってとか。主婦なのにとか、責任者なのにとか。どうだっていい。それより、その人がどれだけ頑張っているかが大事だと思う。

ただ感情的にならずにいることが、どれだけ偉いのだろう。それは僕にとっては当たり前にできることだ。でも、僕は人に意見することができない。感情的な人はそれができる。果たして、どちらが偉いのだろう。

「いい人」なんて価値観が、こんな悩みを産み出すんじゃないかって、そう思う。みんな、褒められていてほしい。僕も。僕を。




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