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おばあちゃんと名前の話

母方の祖母は「さち子」という名前だった。もう4年前に亡くなってしまったのだが、おしゃべりで、心配性で、おしゃれの心をいつまでも忘れないキュートなおばあちゃんであった。

また、母の名前には「喜」という字が入っていて、「さち子」といい、なんだかめでたい感がある。私の名前もそういっためでたい雰囲気のある字が入ってもよかったのではないかとふと思った。というのも、私の名前には「里」という漢字が入っており、小学生の頃はなんとなく芋くささを感じていた。「どうせなら「理科の理」の方が頭が良さそうに見えるからそっちが良かった……」と小学生の私は思っていたのである。当時は田舎に住んでいるコンプレックスを抱えており、「里」の字から田舎が連想されて嫌だったのだ。今は慣れ親しんだこともあってか、可もなく不可もなくという気持ち。

またしても小学生時代の話になるが、小学生あるあるで「自分の名前の由来を聞いてみましょう」と宿題が出たことがあった。そこで、なぜ私をこの名前にしたのかと母に問うと「お寺に行って、名字と相性の良い名前を教えてもらって決めた」と、返答があったのだ。「え、漢字に込められた意味とか、なんか良い感じのストーリーはないんか。がーん」とショックを受ける小学生の私。しかし今の私からすると、名前にもしストーリーがあったとしたら「それは解釈違いだ!!!」と言いかねない我の強さがすくすくと育ったゆえ、名前にストーリーがなくて良かったのかもしれないと思い直した。

名前の話はここまでにしておくとして、前述の通り、祖母はかなりの心配性だった。私が地元を離れて東京で暮らすと聞いたら、反対はしないにせよ、きっとしきりに心配していただろう。東京に行く前に祖母は亡くなってしまったので、伝える機会はなかったのだが。それでも東京生活3年目のいま、流石に慣れてきてそれなりに楽しく暮らしているよと祖母に伝えたい。今年のお盆はお墓参りができないので、東京からそっと念じてみる。