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3話.勉強ができると退学にならないと知った高校時代

中学に入ると、見事なまでに環境が変わった。生徒のどこをどう探してもヤンキーは一人も見当たらない。比較的裕福な家庭の子供が多く、公立の中学に入ったらイジメられるか、なじめなさそうな雰囲気を醸し出した、いわゆる「変わった子」と言われる部類の子供が多かった。


そして、最も環境の違いを感じたのが、「勉強ができる生徒は敬われる」ということだ。これまで、小学校ではガリ勉と言われていた子供であっても、この中学では勉強が出来る生徒は一目置かれる存在になる。


受験で勉強に目覚めていた僕は、これからは「当たり前に勉強ができるようになる」という目標を立て、中学が終わる頃には成績上位者の常連になっていた。中高一貫校であったので、そのまま高校に進学、成績も相変わらず上位をキープ、友達も多く、自分で言うのもどうかと思うが、学校では人気者の部類に入っていたと思う。


だが、高校生になった僕は、閉じ込めていた自分の本質に気づき始めていた。
不良になるのが嫌だったはずなのに、僕はある意味道を外れることなく地元で不良になった友達とまた遊び始めてしまったのだ。僕は不良にはなりたくないが、不良の友達が好きなのだ。説明が難しいのだが、プロレスラーにはなりたくないが、プロレス観戦、プロレスラーのことが好きなのと一緒の感覚なんだと思う。


僕は夜中に学生寮を抜け出して、不良の友達と遊んだりするようになった。その影響を受けたおかげか、僕の素行は悪化していき、やがてその素行の悪さは、学校に知れ渡るようになってしまった。

僕は何度も退学を覚悟した。
にもかかわらず、僕は退学になることはなかった。周りで何人も退学していく同級生がいながら。

そして、僕は気づいてしまったのだ。
勉強さえできれば、退学になることはないのだと。と同時に、僕は学校という理不尽な社会を利用しようと決めた。
最も楽して大学に行く方法を考えた結果、僕は推薦入試で難関大学に早々と合格した。他の生徒が必死で受験勉強をする最中、素行の悪い僕は禁止されていた自動車運転免許の取得のため、自動車教習所に通う日々を送っていた。そして、高校を卒業する頃には親の車を乗り回していた。


高校時代の僕は勉強と遊びの二刀流だった。
どちらも真剣にやった。
それ以外はない。
夢もない。
ただ一つあったのは「金持ちになりたい」という幼稚すぎる漠然とした目標だけ。

僕は勉強だけはできるようになったが、中身はド田舎育ちのバカな子供のままだったのだ。


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