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奥行50cmの宇宙

この春私が結婚した相手は、俗にいうポスドクである。所属先からは「なんとか研究員」とかっこいい肩書きをもらっているが、要はプロジェクト単位での雇用であり、つまるところ非正規雇用である(私自身は全く異なる業界に身を置いていることもあり、これがポスドク全般に言えることなのかはよくわかっていないことを断っておく)。

夫は大学に所属する研究者見習いではあるが、今春の着任以降、コロナウイルスの影響でほとんどの時間を家で過ごしている。研究分野の特性上、自宅にいても仕事を進められるらしく、婚約指輪の返礼品として購入したデスクに向かう日々を過ごしている。

幸い、夫の研究分野はこの状況の中でもさほど打撃を受けていない分野だと聞く(これについては本当に分野によって大きな差があるだろうと思う)。自宅にいても同僚とzoomでゼミを行なったり、リモートでセミナーを受けたりしているし、ボスとのミーティング中に帰宅した私が家中に「ただいま!」の声を元気よく響かせたこともある。私が仕事から帰宅した後も延々とPCを触っているものだから、最初はよほど仕事が山積しているのかと心配していたが、(少なくとも私の帰宅以降については)趣味の時間も少なからず含まれているのだと言う。私には全く仕事とそれ以外との見分けがつかない。夫はもともと仕事すなわち研究とそれ以外のオンオフをはっきり分けない人間だが、彼の生活はかつてなく曖昧なマーブル模様を生成しているのが現状である。ともかく、極端に狭いわけではないがさほど広いとも言えないリビングのすみっこが彼の定位置だ。

私について言えば独身の頃から変わらずひとり遊びが好きだし、最低限の事務的な会話に対応してもらえるならそれでいいと思っている。同じ空間にいるので明らかに切羽詰まった様子でなければちょっかいを出してしまうこともあるが、個室にも切り替えられるリビングの戸が開放されたままになっているということは、とりあえず今のところは許してもらえているのだろう。

この家には彼と私しかいない。たとえば、いっしょに夕食を食べながら、今日はこんな成果があったとうれしそうに報告してくれることがある。私にはその価値を真に理解することはできないが、思い返せば交際前に遊びに行ったときだってバスの中でどきどきそわそわしている私の隣の席でぐうぐうと居眠りをしていたような、ディズニーランドでさえQラインで科学書とにらめっこをしていたような人だ。夫も別にその成果がどれほど価値があるものかを瞬時に理解する役割を私に求めてなどいない、と、思う。たぶん。

研究職への道を歩もうとする人との結婚について、よく決心できたね、と言われたことが何度かある。たいていの場合、相手は褒め言葉として、あるいはシンプルな感嘆の言葉として発声しているので別段ネガティブな気持ちになったことはない。けれど、「決心」という単語については少しばかり考えこんでしまう。私に必要だったとされる決心と、世のカップルが結婚を決める時に必要なそれとでは、どれほど、もしくはどのように異なるのだろう。
当然ながらその答えは結婚してたかだか数ヶ月の身にはわかりようもないが、現在の私が感じたことを残しておくことにはそれなりに意味があるような気がする。どちらかと言えば楽天家な私は、その感情が漠然としたものであればあるほど、どこかに置き忘れたままにしてしまいそうで。

夫はよく計算をしている。二台のモニターに占拠された、ただでさえ奥行の浅いデスクのわずかなスペースにかじりついていたり、床に座ってその辺にあった15cm四方の小さな紙に成人男性の手で何かを書き込んでいたりと、もっぱら窮屈そうな格好である(もちろんPCを用いることもあるのだろうが、ご多分にもれず私には他の作業との見分けがつかない)。食事の用意が整ったと三回は言わねば食卓にやってこないほどの集中力を注ぎ込みつつ脳内では高度な処理を行なっているのだろうが、その横顔を少し離れたところから覗き見るとき、このひとはきっと少年だった頃も同じ表情をしていたのだろうなとどこか確信めいたものを覚える。今のところ、私が最も幸福だと感じる瞬間のひとつでもある。

と、ここまで書いたところで、洗濯物干さなくていいの、とゼミ前にトイレへ向かった夫から声がかかった。お弁当箱の蓋を閉め損なったせいで黄色く染まったランチクロスを洗ったのをすっかり忘れていた。何かとそそっかしく、時折とびきりのぽんこつぶりを発揮する私は、ひとのことをいっちょまえに分析できる立場にはないことも忘れていた。そしてそんな私をいつも巧みにフォローしてくれるのは夫なのである。

私たちは似た者どうしだとも言われるし、正反対のタイプだとも言われる。きっとどちらも少しずつ正しくて、少しずつ間違っている。これから、そんな私たちの辺と辺とを合わせてゆく日々が始まる。お互いにぴたりと合う辺のことも、まるで噛み合わない辺のことも、同様に愛していけたらいい。

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