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2022京都大学/国語/第二問(理系)/解答解説

【2022京都大学/国語/第二問(理系)/解答解説】

〈本文理解〉
出典は多和田葉子の小説「雲をつかむ話」。
①段落。手紙の返事を書こうとしてもなかなか書けない時、つい日記を広げてしまう。悪い癖だと思う。手紙は一人の人間に向かってまっすぐ飛ばさなければならない紙飛行機のようなもので、「紙とは言え、尖った先がもし眼球に刺さってしまったら大変。責任を持って書かなければならない」(傍線部(1))。責任を気にかけすぎると、書きたいことが書けない。それで、とりあえず責任のない日記を広げてしまうのかもしれない。…
②段落。…
③段落。私が心の中でひそかに「鱒男」と呼んでいたブレーメン出身の青年のことを思い出してしまうのは、今手紙を書こうとしている相手と彼が似ているからだろう。数ヵ月前、知人に頼まれてハンブルグ市の成人教育センターで日本語集中講座の手伝いをした。中級を受け持っている先生が喉の手術を受けてしばらく教えられなくなったということで、私はアルバイトで代理として雇われ、週に一度、大学の授業が終わってからセンターに足を運んだ。その時の教え子の一人が鱒男だった。言葉に対して繊細でかろやかな遊び心を持つ学生の多い中で、鱒男は口が重く、実直で無骨な印象を与えた。「赤い家の外に出ます」「火曜日に、町から外に出ました」「カエルが川から出ました」など、正しさがぎりぎり怪しい例文を作って文法を稽古するにあたっては、あることないこと文章にしてしまった方が練習になるのに、鱒男は「私は学生です」など最低限の守りの真実しか言わず、しかも、そんなことでさえ言うのがばかばかしい、といういらだちが声にも目元の表情にも出てしまう。その鱒男が急に顔をあげて「出たい」と言った時、「わたしはどきっとした」(傍線部(2))。前も後ろもなし、ただ「出たい」と言ったのである。どこから出たいと言う以前に、とにかく出たいのだ、という切実な気持ちだけが伝わった。
④段落。…
⑤段落。…それにしてもます男の「出たい」は突飛で、どこから出たいのか見当がつかない。「出たい、という文章は間違ってはいないけれど、もう少し言ってくれないと意味がわからない」とわたしが言うと、鱒男は眉間に皺を寄せてしばらく考えてから恥じらいもためらいも見せずに、「春が来ると、出たいです」という文章を作ってみせた。こうなってくるとどこから出たいのかだけでなく、誰があるいは何が出たいのかまでわからなくなってくる。
⑥段落。「と」を使ってある状況を仮定してから話者の希望を述べるのはまちがいだと日本語の教科書には書いてある。でもその理由を手早く説明するのは難しいだけでなく、わたしにはその瞬間、その文章が間違っているのかどうか、確信が持てなくなった。春が来ると出たい。鱒男は必死でこちらを見ていた。「春が来ると」という文節を他人の庭の木から折ってきて接ぎ木をした。どうして春なんだ、と呆れてみせたい一方、何か本当に言ってみたいときの文章というのは「そういう風な手触り」(傍線部(3))なのかもしれない、とも思う。
⑦段落。そしてその日の帰り道、気がつくとわたしは口ずさんでいた。春が来ると、出たいです。春が来ると、出るつもりです。春が来ると出ませんか。春が来ると、いっしょに出ましょうよ。
⑧段落。しばらく歩いて行くと、信号が目の前で赤に変わって、その瞬間どうして「春が来たら」って言わないんだろうと思った。そうすれば、誰にも文句を言われないのに。「春が来たら」と言える人間は、春が来ることを確信している。べったりと確かな未来を今の続きとして感じている。その春を自分が体験できると単純に信じ切っている。つまり、自分が明日死ぬかもしれないということをうっかり忘れている。それに対して、「春が来ると」と言う人はどこでもない場所から一般論を述べている。話し手の存在は薄い。声が小さい。何を恐れているのか。自分はどこにもいないのに、急に濃い欲望、出たい気持ちを述べている。そこに矛盾があるのかもしれない。「春が来ると、出たいです」。鱒男は今どこにいて、どこに出たいのか。


〈設問解説〉
問一「紙とは言え、尖った先がもし眼球に刺さってしまったら大変。責任を持って書かなければならない」(傍線部(1))はどういうことか、説明せよ。(3行)

内容説明問題。「紙とは言え、尖った先が(a)/眼球に(b)/刺さってしまったら大変(c)/責任をもって書かなければならない(d)」。日記との比較で手紙を書くことの難点を述べた箇所。直前部「手紙は一人の人間に向かって真っ直ぐ飛ばさなければならない紙飛行機のようなもので(e)」も、dという帰結を導く前提として説明に加える。ポイントはe→a→b→cの比喩表現を一般的な表現に直して説明することだが、dの箇所も含めて参照箇所が近くに見当たらない。すなわち、②段落で話題が飛び、③段落からは「鱒男」のエピソード(本題)に移るのである。ただ、この「手紙」についての記述は、ただの前振りとして冒頭に挙げられたとは考えにくく、③段落以下の「鱒男」のエピソードとその考察からなる本文の主題と照応しているはずである(少なくとも、出題者はそうした読みを求めていると考えてよいはずだ)。
そこで先取りして本文の主題を示すと、「言葉による感情の表出(鱒男)とその表現(=他者に伝わること)としての成立のし難さ(考察)」ということになる。そして、その「伝わり難さ」は「春が来ると/春が来たら」のような表現の細部に関わるというのである(最終⑧段落)。以上を踏まえて傍線部(+α)をパラフレーズすると、「自分の気持ちを相手に直接伝える手紙は(e)/表現のニュアンスや(a)/意図せぬ受け止め方により(b)/相手を酷く傷つけかねないので(c)/繊細に配慮して書く必要があるということ(d)」となる。本文に換言箇所がないのは随想や小説によく見られるケースだが、そうした場合、慣用的表現の常識的な意味(自明)や、段落または全文を通しての主題を踏まえ、自力で言葉を言い換え説明しなければならないのである。

〈GV解答例〉
自分の気持ちを相手に直接伝える手紙は、表現のニュアンスや意図せぬ受け止め方により相手を酷く傷つけかねないので、繊細に配慮して書く必要があるということ。(75)

〈参考 S台解答例〉
手紙は、受け手であるただ一人に宛てて、伝えるべき内容を直接届けるものなので、受け取った相手の心を傷つけることがないよう、書き手には相応の覚悟が求められるということ。(82)

〈参考 K塾解答例〉
自分に向けた日記とは異なり、他者に宛てて書く手紙は、言葉の用いようで相手を傷つけかねず、最新の気遣いを払いつつ自らの思いを綴らねばならないということ。(75)

〈参考 Yゼミ解答例〉
手紙の言葉はただの文字だが、人に直接向けられるものであるだけに、受け手を傷つける言葉を使わないように細心の注意を払う心構えが書き手には必要だということ。(76)

〈参考 T進解答例〉
手紙の文章に自分の切実な思いを直接的な言葉で書き記すと相手を傷つけてしまうかもしれないので、柔和で繊細な表現の選択に留意しなければならないということ。(75)


問二「わたしはどきっとした」(傍線部(2))について、「どきっとした」のはなぜか、説明せよ。(3行)

理由説明問題。傍線部の前後、「その鱒男が急に顔をあげて「出たい」と言った時(a)」「前も後ろもなし、ただ「出たい」と言った(b)/とにかく出たいのだ、という切実な気持ちだけが伝わった(c)」から解答の骨格を構成する。つまり「「鱒男」が唐突に前後の文脈もなく(b)/切実な気持ちだけを込めて(b)/「出たい」と言ったから(a)」(A)となる。ただ、これだけでは「どきっ」とした理由としてはまだ弱い。aの前部に「その鱒男」のキャラ説があり、そのキャラからしてAの発言は「わたし」に意外に映ったのである。
③段落によると、「鱒男」はハンブルグ市の成人教育センター「日本語集中講座」での「わたし」の生徒である。その「鱒男」は「口が重く、実直な印象(d)」を「わたし」に与え、怪しい例文を作って文法を稽古する時も(e)、私は学生です、のような「最低限の守り真実しか言わず(f)」、しかも「そんなことでさえ言うのがばかばかしい、といういらだちが声にも目元の表情にも出てしまう(g)」ような人物である。その「鱒男」がAだから「わたし」は「どきっとした」のである。以上の要素(defg)より解答の前半を組み立てるにあたっては、後半のAの要素(abc)との矛盾が明確になるように示す必要がある。「外国語文法を学ぶ方便としても(e)/不自然な表現を嫌い(g)/最低限の発話しかしない(df)」としてA(唐突で不自然な表出)につなげ、最終解答とする。

〈GV解答例〉
外国語文法を学ぶ方便としても不自然な表現を嫌い最低限の発話しかしない「鱒男」が、唐突に前後の文脈もなく切実な気持ちだけを込めて「出たい」と言ったから。(75)

〈参考 S台解答例〉
日頃の例文では事実に即したことのみを極めて消極的に言うだけだった寡黙な青年が、脈絡もなく、文意も不明な願望の言葉を突然発したので驚いたが、切実な気持ちだけは伝わったから。(85)

〈参考 K塾解答例〉
普段は苛立ちながらも「ですます形」の型にはまった文章を愚直に紡ごうしていた「鱒男」が、唐突に切実な心の欲望を直接に表す「出たい」の一言を発したから。(74)

〈参考 Yゼミ解答例〉
最低限の事実しか口にしない青年が、文法の練習中に突然発した「出たい」という言葉は、脈絡も意味も不明だったが、それだけに彼の切実な気持ちを感じさせたから。(76)

〈参考 T進解答例〉
普段は寡黙な実直で無骨なドイツ人青年の発した「出たい」という日本語から、文脈的な意味は不明であるものの、切実で直接的な欲望が筆者に伝わってきたから。(74)


問三「そういう風な手触り」(傍線部(3))はどのような「手触り」か、説明せよ。(4行)

内容説明問題。ここでの「手触り」とは、「鱒男」の「春が来ると、出たいです(A)」という発言のような「何か本当に言ってみたい時の文章(a)」が受け手に感じさせる感覚である。「手触り」とは比喩表現であり、aは言葉であるが、直接触れるような感覚を伴う(b)、ということだろう。Aの発言については、「「春が来ると」という文節を他人の庭の木から折ってきて接ぎ木した」ような文法的には不正確でぎこちなく響くものであるが(c)、それを聞いた時には「その文章が間違っているのかどうか、確信が持てなくなった(d)」という。ここまでが、傍線部のある⑥段落の内容。
これらに加えて、「鱒男」は「眉間に皺を寄せてしばらく考えてから恥じらいもためらいも見せずに」Aの発言をした(e)、ということ(⑤段落)。Aの原型であった「出たい」という発言には、何の脈絡もないものの、切実な気持ちを伝える効果はあった(f)、ということ(←問二)。Aの発言は冒頭の日記の場合と逆で、受け手に配慮せず語り手の内面を表出した言葉だといえること(g)(←問一)、を解答に反映させる。以上より、「受け手に配慮せず語り手の内から発せられた言葉に含まれる(ag)/客観的には不正確でぎこちなく響くものであっても(c)/語り手の中ではそうとしか言いようのない必然的なものとして(e)/説得力を伴い迫ってくる(bdf)/ような「手触り」」とまとめる。「客観的には〜が/語り手の中(主観)では〜」として、結果、主観を押し出したものが表現(=他者に伝わること)を成立させてしまう(ように見える)場合もあると結び、「表現」するとよいだろう。

〈GV解答例〉
受け手に配慮せず語り手の内から発せられた言葉に含まれる、客観的には不正確でぎこちなく響くものであっても、語り手の中ではそうとしか言いようのない必然的なものとして説得力を伴い迫ってくるような「手触り」。(100)

〈参考 S台解答例〉
主観と無関係な一般論を述べる仮定と、主観の強い欲望を述べる述部を連結した青年の言葉には違和を覚える。一方で何か本当に言ってみたいことを述べる文章には、意味の不分明さや文法的な誤りを超えて話者の切実さを伝えるものがあるという感触。(114)

〈参考 K塾解答例〉
一般的な視点から述べる文節と主体の欲望を表す文節との不自然な結びつきが、表現の自明性を揺さぶる不思議な魅力を生み、時空や主体が曖昧になりながらも、かえって話者の本当の気持ちがじかに伝わってくるような感触。(102)

〈参考 Yゼミ解答例〉
自己を消去した一般論と自己の強い欲望を連結する表現のもつ矛盾が青年の切実な気持ちを伝えたように、文法的には正しくない文章だからこそ本当に言いたいことが伝わるときの、アンバランスだが魅力的でもある感触。(100)

〈参考 T進解答例〉
何かを本当に言ってみたいという気持ちから発せられた言葉の持つ、断片的な語句をつなぎ合わせただけで文法的規範から逸脱し、意味も明確には理解し難い発言であるのに、その切実さだけが伝わってくるという感触。(99)

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