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「ルサンチマンの解消」と高級ブランドの購買行動

昨日の続きである。

山口周著『武器になる哲学』の中で、
ニーチェの提示した「ルサンチマン」
という概念に関する章の中身が、
かなり引っかかっている。

昨日書いた内容の要約を、
箇条書きで試みよう。

  • 弱い立場の個人は、「ルサンチマン」、要は「嫉妬」「やっかみ」に囚われがちである。

  • 彼らは状況を改善するべく、その原因となる価値基準にあえて隷属する

  • または、その価値基準を転倒させる

  • 前者の例として、高級ブランドのバッグ市場が挙げられる。

  • ブランド側は、巧妙にルサンチマンを生み出し、市場規模を拡大させている。

  • つまるところ、ブランディングを生業とするマーケターは「罪作り」だ。

ラグジュアリーブランドの好業績を
引き合いに出し、その理由を
「ひとえに、彼らが極めて巧妙に
ルサンチマンを生み出し続けている
からだと考えられます」

とまで言い切っている。

しかし、さすがにこの見方は一面的に
過ぎる
のではないだろうか?

ラグジュアリーブランドは、
極めて高価な商品を作り、
併せてその価値を喧伝することで
「これを持つことに価値がある」
という「幻想」を作り出している
面がある
のは否めない。

この「幻想」を作り出している面を
取り上げて「巧妙にルサンチマンを
生み出し続けている」と言うので
あろう。

とはいえ、人がルサンチマンの解消
だけを目的に、ラグジュアリーな
モノを買うかと言えば、決して
そんなことはない
はずだ。

ブランドのバッグであれば、
持っていることによって得られる
満足感、優越感
と言ったものが
ルサンチマンの解消に役立つわけ
だが、当然ながらバッグとしての
機能性、有用性
がない限り、
買ってもらうことは難しい。

心理的な便益としても、
長年の信頼の蓄積が生んだ安心感
そのブランドを選ぶ理由となって
いるのかもしれないし、
固有の美的センスが「一目惚れ」
引き起こした可能性だって否定は
できない。

消費者がモノを買うという行為は、
殊にそれが高額であればある程、
非常に複雑な心理的過程を経て
行われるもの
なのだ。

それを、ルサンチマンの解消と
いう便益を求めているからだと
単純化し、その「落とし穴」を
仕込んでいる咎でマーケターを
断罪
するというのは、あまりに
安直な物言い
だろう。

マーケターとしては、買う側に
「持たないと流行に乗れない」
「持たないのは恥ずかしい」
といったような心理操作的な
側面での販売促進に精を出して
消費者からの中長期的な信頼を
損なうようなことを避けるよう
心がけたい
ところ。

そういう安直な輩も少なからず
いるからこその、氏の指摘である
ことは真摯に受け止める。

その上で、消費者がモノを買う
という行為は、ルサンチマンの
解消だけで説明できるほど単純
ではない
、ということも改めて
強調しておきたい。

「単純化」すると、分かりやすくなる。
分かりやすくなると、分かった気に
なりやすい。

その、分かった気になったときこそ
非常に危険
なのだという認識は、
頭の中に常駐させておくべきだろう。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。