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コロナにあぶり出された「Windows」

今回のコロナ騒ぎで、在宅勤務が
増えた。
どこもかしこも、従来の仕事を
見直す必要に迫られた。

特に顕著に変わったのは、会議で
あろう。
会社で実際に人が集まって会議を
しているときは、発言をしない
でも許される人がいた。
例えば、いかめしい面構えで
存在感を醸し出したり、激しく
頷いて聴いている感を演出したり
といったテクニックでかろうじて
その存在を正当化できたような
人がいたかもしれない。
あるいは、会議の前後に色々と
雑談をすることを通じて、職場の
「血行」を良くするような役回り
を果たしていた人もいたかも
しれない。

しかし、こういう人たちは、
オンライン会議の場では残念な
ことに無力、あるいは非力だ。
言い換えれば、貢献がない、
あっても乏しい。

この数ヶ月で、無数のオンライン
会議に参加し、また主催もしてきた
が、雑談をする雰囲気はほぼなく
なって、用件が済んだらさっさと
会議を終了する傾向がある。
また、ルールで決まっていない限り
ビデオをオンにする人は少なく、
発言をしないと結局いてもいなくて
も同じ、というような人も多く
存在している。

これらの会議を通して、中身に
貢献がある人、ない人の色分けが
かなりくっきりと出来てしまう、
そんな感覚を持っている。
同様の感覚を持っている人が多い
ことも、友人のFacebook投稿など
からひしひしと感じるところ。

話は少し飛ぶが、先日オンライン
で参加させてもらったDAF20という
セミナーにおいて、

「あなたの会社に
 Windowsはいますか?」

という不思議なタイトルでお話を
された方がいた。
アンディ中村さん。
職場コミュニケーションの専門家
として、一流商社のサラリーマン
との二足の草鞋を履きながら、
セミナーの講師をされている方で
ある。

Windows?
MacよりもWindowsの方がシェアが
ずっと大きいはずなのに、
変な問いかけだなぁ、との感想を
持ったまま、特に深く考えることも
なかった。

いざ講演が始まって、それがどういう
意味か解き明かされる。
Window=窓 である。
彼の言うWindowsとは、いわゆる
「窓際族」のこと。
つまり、講演のタイトルは
「あなたの会社に窓際族はいますか?」
という問いかけであったのだ。

私の通う会社は、従業員が100人にも
満たないサイズなので、さすがに
窓際族を飼っている余裕はない。
しかし、従業員が1,000人、2,000人、
あるいは10,000人などといった企業
ともなれば、それなりの数にのぼる
のかもしれない。

先程の話とここでつながるのだが、
オンライン会議でその中身に全く
貢献がない、あるいは乏しい人は、
どんどん「窓際族」化、言い換えれ
ば「Windows」化していくわけだ。

アンディさんが、話の中で大切な
ことに触れていた。
「Windows」認定された人たちは、
いつの間にかそういうオンライン
会議の場に呼ばれなくなり、本人
たちがそれに気付くこともない、
ということだ。

物理的に「窓際」に追いやられれば、
本人も周囲も当然そのことに気付か
ざるを得ない。
しかし、オンラインが主なやり取り
の場になると、本当にいつの間にか
会社からいなくなりました、そして
誰も気づきませんでした、そんな
ことが普通に起こり得るのだ。
そして、物理的な距離が普段遠い
分、そういうことがあっても
「ふーん」と大した関心を寄せる
こともなく、流れていってしまう
のである。

これはある意味、当たり前のことを
当たり前にやっていない人への、
当たり前の報いでもある、そんな
解釈も可能である。
と同時に、自分自身が常に社会、
会社、そして上司や同僚、部下と
いった周囲への「貢献」を考えて
行動しなければならないという、
今の時代が発しているメッセージ
なのかもしれない。

今回は、
「Windows」=「窓」≒「額縁」
ということで、
額縁の中のモナ・リザに扮して
いたアンディさん。
みんなを爆笑の渦に巻き込みつつ、
示唆に富む話をしてくださった
ことに、改めて感謝である。





己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。