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歴史コンテンツを学び直してみる

日曜日に、西早稲田まで赴き、
高田馬場ラビネストという名前の
小劇場で催されたイベントに
お邪魔してきた。

「日本史はらぺ考」
という奇妙な名前の「朗読史劇」
「はらぺこ」、要は食事の観点から
歴史に光を当てて、面白おかしな
コンテンツに仕立て上げたもの。

「朗読」と銘打ちつつ、
「演劇」っぽさもありながら、
「講談」のようでもあり、
かつて体験したことのない
極めてユニークなコンテンツ。
新ジャンルを創造したと言っても
差し支えなさそうだ。

途中10分の休憩を挟みつつ、
トータルで2時間強。
5人の「声のプロ」たちが、
入れ替わり立ち代わりで
セリフを畳みかけながら、
一気に日本の歴史を振り返る
かなり野心的な試みであった。

その振り返りの視点として、
「腹が減っては戦は出来ぬ」
満足いく食事にありつけたか否かが
様々な命運を分けた
ということで、
経糸を一本通していたのが慧眼だ。

私も、「DAF」というスピーチが
メインのイベントに出演しており、
人前で話をする機会があるため、
こうしたイベントを観ると、つい
興行主側の視点から色々と考えて
しまう。

それはさておき、
歴史というコンテンツは、
非常に汎用性が高いのは皆さん
ご承知の通り。

歴史をコンテンツ化しているもの
して真っ先に思い付くのは、
NHKが毎年かなりの予算を割いて
いる、いわゆる「大河ドラマ」

落語講談も、歴史上の人物なり
史実なりを扱ったストーリー展開
であることが一般的。

事実はたとえ一つだったとしても、
解釈の仕方で様々な味付けが可能
ところが、コンテンツ化しやすい
最大の理由だろう。

今回の「はらぺ考」公演の中でも、
セリフとして出て来たことなのだが、
歴史というのは時の権力者の都合の
良いように書き換えられるのが常

だから、まことしやかに伝わって
いる歴史を鵜呑みにするのは、
そもそも危険極まりない

歴史研究の分野は、私が小中学生だった
40年前からはかなり進歩があり、
様々な常識が塗り替わっているとも
聞いている。

「卑弥呼」が実在したのか否かも、
現状の教科書ではもちろん肯定されて
いるものの、「卑しい巫女」という
日本にとっては屈辱的な名前の女王を
戴いていたというのが事実とはどうも
考えにくい。

そういった、これまでの常識とは外れた
解釈
や、教科書が教えてくれないものの
確からしい仮説
をふんだんに盛り込み、
そこに笑いのエッセンスを足していく
今回の公演は、大変に刺激的だった。

歴史を学ぶ、歴史に学ぶということは、
極めて大切なこと。
しかし、ただただ教科書を読んで覚える
というような、つまらない学び方では、
歴史を好きになるはずもない。

しかも、歴史の教科書は、なぜか日本を
貶めるような記述の多い、自虐史観
ベースにした出版社が大きなシェアを
占めるという歪な状況と聞く。

子どもたちには、自分たちの国・日本が
いかに素晴らしい伝統を持っているか、
誇りに思える教科書
で学んで欲しい。

と同時に、大人は大人で、今から
教科書で学び直しするというよりは、
落語でも講談でも史劇でも、あるいは
マンガやアニメでも良い。
改めて自分の国の歴史に興味を持ち、
学び直してみることを推奨したい

なお、この「日本史はらぺ考」、
東京公演は終わってしまったが、
京都、札幌、神戸での公演がまだ
続く

札幌公演では、私の先生であり友人でも
ある、五十嵐いおりさん(元HTBアナ、
朗読家)
も出演される。
歴史好き、朗読好きな方は、
是非チェックしてみてほしい。


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