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2年ぶり読むと別の物語だった。

「明け方の若者たち」
発売されたのは2020年6月10日。
世の中は誰も経験したことがない環境になり、みんな様々な思いを抱え考えていたと今なか振り返ることができるくらい時が経っている。

明け方の若者たちを読みながらなんで私はこの本を手に取ったのか考えていた。私は正直な話、著者を知っていた訳ではなく…。

ただ思い出したのは「表紙の色味に惹かれた」。
明け方なのになぜ暗いんだろう。」「しかも三日月まで表紙に書いてある。」「the end of the pale hour なんだろう。」

あと「表紙の文字の形」。
ところどころ、消えそうになっている。線が細くなっている。
著者の名前は消えそうには、細くはなってはいない。
なぜかすごく気になってしまう表紙だった。

月の位置も低い。本を手に取った時に親指のななめ上に三日月が位置している。少し手を伸ばしたら月に指が重なりそうなくらい近いけど、実際は遠くて届かない。夜の月を表しているようだった。

1度ではなく何度もやったことがある、月に指を手を重ねてみる行為。手の中で月は隠れてしまうけど、実際隠れてなくなることはない。

あくまでその一瞬だけ。また数秒後には月は復活しているし、数日後に空を見上げると別の形でたまに見たことある形で空に浮かび上がっている。

そんな表紙が気になり本を購入した。
お店の中は人が全然いなかった。土日の買い物客の盛り上がりがなくなるなんて、そんな日々を日本人が世界中の人がどのくらい想像していたのだろうか。多分、誰も想像していなかったんだろうなと思いながら。家に帰ったことを覚えている。

「すぐには読まなかった。」
これだけ気になって買ったのにも関わらず、日々の仕事のしんどさにやられてしまってすぐに本を読まなかった私。
若者たちってことは自分と同じ歳くらいの物語だと感じていたのと、表紙のデザインと色味的にハッピーな話ではないと思っていたので、今の自分が読んだらまた気分が落ちていくのではないかと思い、少しテーブルの上で温めてしまっていました。

テーブルの上に置いているとご飯を食べる時に絶対に目に入ってくる。気になっているけど、まだ読めないな〜と思いながら仕事から帰ってきたら毎日いつ読むのが正解なのかわからないまま、テーブルの上に置いたままになっていました。

結局この本を読んだのは2021年の1月になってからでした。
6月には家の中になった本棚を組み立てたので、その中に移動されて他の本と一緒に長い時間私を見つめていました。

1月に何があったのかというと。

「会社を辞めることを伝えた」

そのあとふと本棚を見つめていた時に
ちょうど目線と指が重なる場所に明け方の若者たちがありました。

今読もう。

そう思い読み進めていきました。


その当時は読み終わったあとに
自分と重ね合わせていました。
「自分が理想としていた大人になれているのだろうか。」
「こんな風に誰かのことを好きになったことはあるのだろうか。」
物語の数年間の時間系列で起こったそれぞれの事象に対して、一つひとつ考え事をしていました。

けれど。

2023年、今読んだらまた違う物語に変化していたのです。

私は2021年に住んでいた場所を離れて今は関東に住んでいます。
2021年1月に明け方の若者たちを読んだ時には特に何も考えずに固有名詞として、そのまま読み進めていた「地名の位置」がわかるようになったのです。

特にこの物語で多く出てくる「明大前」「高円寺」。
2021年当時はどの場所が地図上のどの位置にあるのか知りませんでした。
なのでその地名だけでどんな場所なのかあまり考えることもなく、イメージも薄かったです。

けれど関東に住んだ今。
有名な地名は大体わかるようになりました。どんなお店が多くて、どんな人が住んでいて、どんな街なのか…。

そしたらこの物語は時間と共に住んでいる場所の変化も重要な要素だったと感じました。
2021年は知らなかった。ただの地名として捉えていなかった。
それが時代の流れを象徴するものに深く関係していたと気づきました。

地名や固有名詞がわかることで
物語の意味の捉え方が変化しました。

「渋谷の中」
「109.ヒカリエ. タワレコ.マークシティ.パルコ.東急ハンズ」
2021年1月はそのまま読み進めていました。
そんなお店があるんだ程度にしか捉えられていませんでした。

けれど。
今は全部どこに何があるのかわかります。
位置もその建物になんのお店が入っているのか、何線の何番出口から出ると近いのか…。


頭の中で位置や街の雰囲気がイメージできるようになると
あの頃はよく行っていた場所。今よく行くようになったお店、場所がどんどん変化しているけど、自分はあの頃と何が変わったのか。
特別な自分になれているのか。子どもの頃に想像していた大人になれている人はどのくらいいるのかだろうか、なんて考えてしまう。

明け方の若者たちは
環境が変わったタイミングで読むとまた新しい物語になった。
特にそれは関東に私が引っ越しをしたからだと思う。
別の地域だったら、そのまま地名について理解しているわけではないので
一つひとつの事象に対して自分を重ね合わせていたのだと思う。

イメージができるようになったことで
文章の地名に対する位置関係も明確になったのもよかった。
「池尻からだとタクシーの方が早いかも。」
地名との位置関係がわからないと、意味の理解が難しかったと思う。

こんな風に同じ本を読んで
このように感じる物語に人生であと何回出会えるのだろう。

そう感じながら
私は今日も自分の人生を進めていく。

さぽ~との循環目指しています❤