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エリトリア編 せきらら☆難民レポート 第28回 月刊ピンドラーマ2022年9月号

◆「アフリカの北朝鮮」が通説!?

突然「エリトリア」と言われても、「どこ?」というのが一般的な日本の感覚だと思う。同国は「アフリカの角」と呼ばれるアフリカ北東部にあり、南にエチオピア、西にスーダン、南東にジブチの国境が接し、紅海沿岸の向こうにイエメンとサウジアラビアが位置する。  

エリトリア国籍のアフメド・ファラー(Ahmed Farah)さん(37)は、2020年2月、パンデミックに入る直前にブラジル人妻の家族を訪ねてサンパウロに来た。すぐにスーダンに帰国する予定が、そのままブラジルにとどまることになった。

アフメドさんの父親はアフメドさんが生まれる前、エリトリアから妻と長男を連れてサウジアラビアに渡り、アフメドさん他8人の兄弟姉妹はサウジのジェッダで生まれ育った。その後、1991年にエリトリア人民解放戦線(EPLF)がエリトリア臨時政府樹立を宣言し、93年にエチオピアから独立。イサイアス・アフェウェルキ大統領が就任してからは、両親きょうだいともに「命の危機」を恐れてエリトリアに入国したことはない。

エチオピアから独立後のエリトリアは一党独裁国家で、インターネットも国民に浸透しておらず、15年前にアフメドさんの叔父が逮捕され投獄されたという話を聞いた後も、その消息はいまだ不明のままである。エリトリアがその深刻な人権侵害と圧政ぶりから「アフリカの北朝鮮」としばしば呼ばれているのもうなづける。

◆18歳以上の男性は兵士しか選択肢がない

アフメドさんの両親がエリトリアを出た一番の理由は、一般国民は18歳になると全員が兵士になるしか選択肢がないためである。両親の願いは、子どもたちがしっかりと勉強し、社会貢献できるように育ってほしいということだった。エリトリアでは今も兵士になる他は、政府支配下の農民として低賃金または無賃労働に従事することが義務である(人口の約80%が生産性の低い農牧業に従事)。アフメドさんの父親同様に、国外に出たエリトリア人は、特に隣国のスーダンやエチオピアに多い。1890年から約半世紀はイタリアの植民地支配下にあったことから、イタリアに渡ろうとする人々もいるが、小型ボートでの移動中、地中海で難波して多くの人が命を落としてきた。

◆サウジアラビアでの外国人に対する高い壁

「あなた方はサウジアラビア人ではない」
これはサウジアラビア政府の一貫したエリトリア人に対する姿勢である。生まれも育ちもサウジアラビアでありながら、エリトリア人にサウジアラビア国籍を与えることは基本的になく、アフメドさん家族は皆エリトリア国籍である。サウジでは毎年、外国人であるエリトリア人は滞在証の更新が必要で、その費用も約R$5000(約12万円)と安くない。もし、エリトリア人男性がサウジの女性と結婚する場合は、その女性は35歳以上でなければならず、政府から認可されるまで4、5年かかり、認められない場合もある。

アフメドさん家族はこの手続きに悩まされ、現在、スーダン人と結婚してサウジに暮らし続ける2人の姉妹をのぞき、両親と2人の兄弟はスーダン、一人の兄はトルコ、そしてアフメドさんと一人の兄はブラジルへ移住することになった。

◆マレーシア、スーダンを経てブラジルへ

サウジでは公立大学に外国籍者は入学できないため、アフメドさんは2005年からスーダンの大学で勉強し、会計士となった。サウジに戻って就職したが、2016年からマレーシアの大学に留学し、修士課程を修了した。マレーシアでは、留学生として住居も無償で提供され、毎月の生活費も受け取ることができた。

留学中、既にブラジルに暮らしていた兄から、「ブラジルは移民登録の手続きが厳しくないし、暮らしやすい。一度来てみたらどうか」と言われ、興味を持った。兄はイスラム教徒のブラジル人女性を紹介し、マレーシア留学中に結婚、同国で一緒に生活を始めた。
 学生を終えるとマレーシアでも居住権は得られず、サウジでの滞在ビザも更新しなかったため戻ることができなくなった。一旦、両親のいるスーダンに妻と移った。

◆居住権の問題から解放されて

「ブラジルは滞在許可証の更新手続きに悩まされず、長年の苦悩から解放されました。スーダンの居心地は良かったですが、インフラ整備は遅れているし、医療機関も薬も不足しています。サンパウロは無料の公立医療機関もあります」

2002年2月にブラジルに来てからは、義両親の家で一年ほど世話になった。温かい妻の家族と暮らし、ポルトガル語にも4か月ほどで慣れ、ブラジルのことを知るにつれて永住したいと思うようになった。

アフメドさん

ブラジルに到着した翌月、サンパウロの連邦警察で難民申請を行い、プロトコール(申請受付証明書)を得た。難民認定されるためには出身国の状況なども考慮されるが、国家難民委員会(CONARE)や連邦警察もエリトリア政府が情報を統制しているため、詳しい情報を調査できず、認定の判定は下されていない。それでも、一年後には仮の移民登録証(RNM)を得て、就労や銀行口座開設、借家など、ブラジルの一般市民と変わらず行える。

◆ブラジルのエリトリア人

「私の知る限り、ブラジルには私と兄、もう一人のエリトリア人しか暮らしていません」
エリトリア人はビザを取得するのが難しく、ブラジルに来る人が少ない上、ブラジルを通過地点と考えて米国を目指すケースが多い。

現在は義両親の家を出て部屋を借り、兄が代表を務めるカンブシ地区にあるイスラム文化センターでアラビア語や英語を教えながら様々な手伝いを行っている。

「ブラジル人は私がどうしてどこから来たか等、いちいち細かいことを聞かず、温かく接してくれます。治安が良くないことをのぞけば、ブラジルは大好きです」
というアフメドさん。一番の夢は、両親やきょうだいをブラジルに呼び、サウジ時代のように家族皆で生活することである。

イスラム文化センターHP

◎イスラム文化センター(Centro Cultural Islâmico)
住所: R. dos Parecis, 74 - Cambuci 
電話:(11) 4781-0328
ホームページ:https://centroculturalislamico.com.br

企画/ピンドラーマ編集部 
取材・文/おおうらともこ


おおうらともこ
1979年兵庫県生まれ。
2001年よりサンパウロ在住。
ブラジル民族文化研究センターに所属。
子どもの発達にときどき悩み励まされる生活を送る。

月刊ピンドラーマ2022年9月号
(写真をクリックすると全編PDFでご覧いただけます)


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