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ルーカス・レイヴァ クラッキ列伝 第162回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2023年5月号


Lucas Leiva

名門グレミオがブラジル全国選手権2部に降格し、一年での昇格に苦戦していた2005年11月26日、グレミオはナウチコとのアウェイゲームで4人の退場者を出しながらも後半アディショナルタイムに劇的な決勝点を決め、1対0で勝利。全国選手権1部に復帰した。

両チーム合わせて5人の退場者を出したこともあってアディショナルタイムは実に16分。壮絶な試合展開はスタジアムのある地名に由来して「アフリットスの戦い」の呼び名でグレミオのクラブ史に刻み込まれている。

そんな激闘を知る選手の中で唯一、現役選手として活躍していたルーカス・レイヴァが昨年6月、グレミオに戻って来た。

歴史は繰り返す。

17年の時を経た2022年、グレミオは再び全国選手権2部を戦っていたが10月にナウチコに3対0で勝利し、一部昇格が決定。「アフリットスの戦い」がデビュー戦となった当時18歳の青年は、円熟期を迎えた35歳のベテランとしてチームの中心にいた。

2002年、15歳にしてグレミオの下部組織に加入したルーカスは、文字通りクラブの「ジョイア」だった。

2006年には早くもレギュラーに定着し、リオ・グランデ・ド・スウ州選手権の優勝に貢献すると、昇格一年目ながら全国選手権でも3位にチームを導いた。

ブラジル南部育ちらしく激しい球際と泥臭い守備を保ちながらも、攻撃にも貢献。プラカール誌が選出する年間MVPにも選出され、2007年8月には早くも、ブラジル代表に選出。2008年にはドゥンガが率いる北京五輪のブラジル代表でも活躍した。

現在のブラジルと異なり、当時売り出し中の若手は早々とブラジルを後にし、欧州に渡ったがルーカスも2007年、イングランドの名門、リヴァプールに移籍。2017年までの10シーズンで346試合に出場し、2017年からはグレミオに復帰するまではイタリアのラツィオで198試合に出場。

ワールドカップ出場はならなかったものの、欧州の一線で安定して稼働し続けたキャリアは超一流のそれだった。

昨年6月、グレミオに復帰した際、「グレミオに戻ってくることを自分のプランに置いていたし、二度とこのクラブから離れるつもりはない。これが僕の目標なんだ」。

欧州では2クラブに所属したがブラジルでプレーしたのはグレミオのみ。

念願の昇格を果たし、クラブの英雄でもある指揮官、レナト・ガウショとともにグレミオを再び再興させるべく燃えていたルーカスだったが、そのキャリアは突然、断たれてしまう。

乗り越えることが可能な怪我ではなく、心臓疾患によってである。

昨年12月、メディカルチェックで心臓に問題があることが発覚。チームを離れていたルーカスだったが、2023年3月17日、グレミオのホームスタジアム内で行われた記者会見で現役引退を告げたのだ。

「この3か月間、支えてくれたグレミオに感謝したい。今日、僕は現役引退を告げる。難しい時期で、この件で泣いたのはこれが初めてだ。自分の思うような位置、思うような終わり方ではないが、きっと新しいサイクルが始まる。この状況を乗り越えられるという期待もあったが、そうではなかった。健康が一番大事だからね」

望まずして打たざるを得なかった現役生活へのピリオド。しかし、金髪のボランチが見せた輝きは、いつまでもサポーターの脳裏に刻まれたままだ。


下薗昌記(しもぞのまさき)
大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科を卒業後、全国紙記者を経て、2002年にブラジルに「サッカー移住」。
約4年間で南米各国で400を超える試合を取材し、全国紙やサッカー専門誌などで執筆する。
現在は大阪を拠点にJリーグのブラジル人選手・監督を取材している。

月刊ピンドラーマ2023年5月号
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