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アフガニスタン編 せきらら☆難民レポート 第27回

#せきらら ☆難民レポート
#月刊ピンドラーマ  2022年7月号
#ピンドラーマ編集部 企画
#おおうらともこ  文と写真

◆サンパウロで唯一のアフガニスタン料理店

昨年、東洋人街リベルダーデ地区の一角に、サンパウロで唯一のアフガニスタン料理店『コ・イ・ババ(Koh I Baba)』がオープンした。コイババとはアフガニスタンの首都カブールからバーミヤンにかけて連なる山脈名だ。店主のソラブ・コーカン(Sorab Kohkan)さん(66歳、カブール生)は郷里を思い出す時、美しい自然や家族との暖かな時間とは別に、心の奥深くに刻まれて生涯癒えることのない悲しみの涙があふれ出す…。

レストラン「Koh I Baba」


◆身を隠し続ける生活に終止符

「私はハザーラ人で、アフガニスタンの少数派です。タリバンはハザーラ人をアフガニスタン人とは認めず、命を奪われるか国を去るかのニ択しかありませんでした。民主社会主義の立場に立っていた私はタリバンの危険人物リストに記され、アフガニスタンではいつも身を隠して住居を転々としていました。仲間の80%は命を失い、20%は国外に避難しました。そんな生活に疲れて、10年前にブラジルに到着しました」

ソラブさんは2012年に単身でカブールを発ち、偽造ビザでペルーのリマに入国。その後、バスでボリビアを経由し、ブラジルの国境の町マトグロッソドスル州コルンバよりブラジルに入国した。
「顔立ちがボリビア人に似ていることもあり、少し袖の下を使えば簡単に入国できました」
と振り返る。

サンパウロに到着後はアパートの一室を借り、アフガニスタンでは教師や翻訳、機械工の仕事をしていたが、レストランでの仕事や運転手などで生計を立て始めた。本当はブラジルから米国に渡る予定だったが、ブラジル人の人を受け入れてくれる温かさや平和さを好きになり、ブラジルに暮らし続けることを決意。2013年に難民申請して、2年後に認定された。

◆残された家族の人道ビザ取得に奮闘

2021年8月15日、タリバンがアフガニスタン全土を支配下に置いたと宣言した。ソラブさんの妻は2017年にサンパウロに呼び寄せていたが、息子と娘夫婦と孫はカブールに残したままだった。タリバンの危険人物リストであるソラブさんの家族にも命の危機が迫り、ソラブさんは同月、残された家族を迎えるために急遽パキスタンに渡った。

ソラブさんの息子と娘、孫と姪の4人はブルカをかぶり、バスと歩きで無事に国境を越え、イスラマバード(パキスタン)に到着した。9月初めに、ブラジル政府は混乱するアフガニスタン情勢に配慮し、アフガニスタン人への人道配慮ビザを発給する省令を出した。イスラマバードのブラジル大使館には、多くのアフガニスタン人がビザを求めて押し寄せたが、ポルトガル語が読めないということや新型コロナ感染防止のためということを理由に、省令はすぐに機能しなかった。

ソラブさんはブラジル大使館に何度も電話で懇願し、ようやく今年の1月に人道ビザが発給された。昨年12月、一足先にブラジルに戻っていたソラブさんは、2月に家族4人をサンパウロで迎え入れた。

左からソラブさんと奥さん、孫、娘、息子さん

◆サッカーW杯で1000枚のユニフォームを販売

2014年に開催されたサッカーW杯ブラジル大会で、ソラブさんは自ら布地を仕入れて工場でブラジル代表の応援ユニフォームを製造し、1000枚を売り上げた。その資金を基に、8年前に『コイババ』の場所の営業権を買った。それまで散髪屋だった建物は老朽化しており、6年以上をかけて改修工事を行い、その間、パステルなどの軽食や食料雑貨を販売した。パンデミックに入ってからは、他店と同様にシャッターを少しだけ開け、営業を続けていた。パンデミックが少し落ち着き始めた頃、知人にふるまっていたアフガニスタン料理が好評だったことから、「何か新しいことを始めなければ」と、サンパウロにはなかったアフガニスタン料理店を始めることを決めた。アフガニスタンだけでは知名度が低いことから、インド料理とタイ料理も合わせてメニューに加えた。

テーブル席が4つほどの小さなスペースだが、営業中はブラジル人の客が次々と出入りする。サンパウロ在住のアフガニスタン人は少ない上、ハザーラ人ではなくパシュトゥン人が多いことから、アフガニスタン人の客は少ない。
「ハザーラ人はモンゴロイド系の顔立ちで、妻や子供たちも日本人や韓国人とよく言われます」
と話すソラブさん。今の場所に来た頃、近所に暮らす日系人からは、「困ったことがあったら連絡してください」と言われ、実際に助けられてきたと感謝する。

アフガニスタン人のお客さんとソラブさん

「アフガニスタンでハザーラ人を助けてくれた中村哲さんが殺害されたのは本当に悲しいことでした」
と、日本人には特別な印象を抱く。ウコンとカルダモンを加えるアフガニスタン式の緑茶は、「とても気に入っている」というブラジル産の日本の緑茶を愛用する。

◆生まれ育ったアフガンはもうない

ソラブさんは2021年に「自分の国のアフガニスタンはもうない」と、ブラジルに帰化することを決意した。
「40年以上アフガニスタンは戦争状態です。旧ソ連、ムジャヒディーン、タリバン、米国...入れ替わり立ち代わり侵略者が支配し、これからも良くなりません」
と断言する。ソラブさんは1985年と1995年にはムジャヒディーンに捕らえられ、兵士として戦わされた。1998年にタリバンが勝利を収めた時から、親戚の多くがドイツやオーストラリアに避難して移住した。

「米国は資源の豊富な中央アジアを支配するため、アフガニスタンに多くの資金を提供しましたが、それはテロを一掃するためのマフィアに渡っただけでした。一般市民は病院も学校も空港もない生活を強いられ続けました」

ポルトガル語やブラジルの法律、書類手続き、家賃の高さなどには困惑するが、戦争がないブラジルの平和のありがたさが身にしみるというソラブさん。
「子どもや孫にはしっかりと勉強して自立し、人と助け合って生きていってほしい」
ごく普通の親心がソラブさんの一番の夢だ。

◎アフガニスタンレストラン『Koh I Baba』
住所: Rua Tamandaré 109 - Liberdade 
電話:(11) 95953-1145
営業時間:月~金 11h~21h

企画:ピンドラーマ編集部 
取材・文:おおうらともこ


おおうらともこ
1979年兵庫県生まれ。
2001年よりサンパウロ在住。
ブラジル民族文化研究センターに所属。
子どもの発達にときどき悩み励まされる生活を送る。


月刊ピンドラーマ2022年7月号
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