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イエダ・ペッソア・デ・カストロ Yeda Pessoa de Castro (民族言語学者、1937年バイーア出身) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2021年4月号

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#ブラジル版百人一語
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#岸和田仁 (きしわだひとし) 文

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「ブラジルのポルトガル語の起源に関しては、学問的にきちんと論じられてきたとはいえないので、その4世紀にわたる歴史の概要を改めてまとめてみようと試みているところだ。ブラジルにおけるポルトガル語の創造に直接関与した当事者であったアフリカ黒人の話者たちの声を可視化するチャレンジを再度試みたい。別の表現でいえば、歴史的な理由やら認識論的理屈から隠されて見えなくなっていた真実を再発見しつつある、ということだ。その真実とは、ブラジルのポルトガル語の共有ルーツは三つの語族にある、ということだ。すなわち、①欧州からアジアにかけて広く分布したインド・ヨーロッパ語族、②南米大陸で広まったトゥピー語族、③サハラ以南のアフリカに起源を持ちアフリカ大陸全体に広まったニジェール・コンゴ語族、という三つの語族である。つまるところ、先住民インディオもアフリカ黒人もどちらも、ブラジルに定着したポルトガル系植民者のカルチャーに深い痕跡を残したのであり、その影響の結果、ポルトガル語の新しい変異種、すなわち、ブラジル的混淆語が誕生したのである。」

 ブラジルで一番優れた大学といえば、USP(サンパウロ大学)であると相場が決まっていたが、最近は、USPとほぼ同格、いや、分野によってはUSPより格上だとの評価を得ているのがUNICAMP(カンピーナス大学)である。いずれもサンパウロ州立の大学であるが、カンピーナス大学の開学は1966年(州条例による大学設立年は1962年)と意外と新しい。

 その大学創立40周年を記念したシンポジウムが2006年11月6日から9日にかけて4日間開催されたが、そのテーマは『ポルトガル語の辿った道:アフリカーブラジル』であった。ポルトガル、フランス、カーボ・ヴェルデ、アンゴラ、モザンビーク、そしてブラジル各地から集まった16人の歴史学者、言語学者、人類学者、作家らが語った内容は、ポルトガル語という地理的な壁を超越した多彩な言語世界についてであった。その各論者の発表内容は、“AFRICA-BRASIL:Caminhos da língua portuguesa”(Editora Unicamp,2009)に収録されており、いずれの論稿も極めて刺激的で面白い。

 ルイス・フェリピ・デ・アレンカストロ(パリ大学教授)による皮切り講演「ブラジルにおけるアフリカ人とアフリカ諸言語」は、1500年に「発見」されたブラジルが、南大西洋圏の国ブラジルとして形成されたのは18世紀以降でしかなく、奴隷貿易を通じたアンゴラとの緊密な歴史的・文化的相互関係の上に、この国家としての実態が出来上がったのであり、それ故に、ブラジルのポルトガル語に入り込んだアフリカ言語を研究する必要がある、と説いている。そのなかでいくつもの歴史学者らしい事例を語っているが、(現在は首都ブラジリアの住民を意味する)「brasiliense」とは、16世紀から18世紀前半ごろまでは、先住民インディオを意味していたし、「brasileiro」とは、ブラジル史において最初の経済商材であったパウ・ブラジル(染料用ブラジル蘇芳)の集荷人のことを指していたのであり、ブラジル人という意味で初めて史料に登場するのは1706年でしかない、との指摘には目からうろこが落ちた。つまり、18世紀までは広大なブラジルでは分散した各地域が点として存在していただけだったが、ミナスにおける金鉱の開発が進み、労働力(黒人奴隷)も植民地国内市場も地域間交流が頻繁となるにつれ、地域限定から国全体への視点・概念が生まれ、ブラジルという国としての認識が出来上がり、「brasileiro=ブラジル人」となったのだ、との説明だ。染色用木材集荷人だったブラジレイロが、ブラジル人に”進化”したのは18世紀であったとは、現代のブラジル人の多くは忘れている。

 イエダ・ペッソア・デ・カストロ教授は、ブラジル人(白人)としては初めてアフリカの大学(ザイール国立大学)でアフリカ言語学の博士号を修得した民族言語学者だが、彼女の発表「ブラジルのポルトガル語-その歴史における一つの混交」は、黒人奴隷が持ち込んだアフリカ諸言語がどのようにブラジルの言語世界に混合していったか、を概観したうえで、ブラジルのポルトガル語は、インドヨーロッパ語族に属するポルトガル語に、先住民のトゥピー系言語が加わり、さらにアフリカ諸言語(バントゥー系、ナゴ・ヨルバ系、ハウサ系など)がミックスしたメスチーソ言語、新型ポルトガル語であることを明らかにしている。冒頭に引用したのは、この論稿の結語部分である。

 他の論者たちは、モザンビークにおける植民地主義とポルトガル語の現地化の関係を論じたり、アンゴラやモザンビークなどで行われている現代アフリカ文学を言語学の視点から再解釈している。ポルトガル語の世界は一様でなく多様で広い。

岸和田仁(きしわだひとし)​
東京外国語大学卒。
3回のブラジル駐在はのべ21年間。居住地はレシーフェ、ペトロリーナ、サンパロなど。
2014年帰国。
著書に『熱帯の多人種社会』(つげ書房新社)など。
日本ブラジル中央協会情報誌『ブラジル特報』編集人、『月刊ラテイーナ』定期寄稿者。


月刊ピンドラーマ2021年4月号
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