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第72回 実録エッセー『ヂエゴという男』 カメロー万歳 白洲太郎

#カメロー万歳
#月刊ピンドラーマ  2022年3月号 HPはこちら
#白洲太郎 (しらすたろう) 文

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 先日、バイーア州のイタカレという町に行ってきた。イタカレはイレウスから約70キロ北に位置するビーチスポットで、旅行者やサーファーなどで賑わっている。ボクもイタカレの噂は12年ほど前から聞いていた。バックパッカー時代にサルバドールで知り合ったコウイチくんという青年が、『イタカレでサーフィンをやりながら生活している』という内容のメールをくれたことがあったからだ。彼はビーチ沿いの民宿で働いていて、月500レアルを給料として受け取っていた。当時のsalário mínimo (最低賃金)が600レアルだったことを考えると、決して高い金額ではないけれど、住み込みで働いているから家賃などの費用はかからない。なので500レアルの給料でもけっこう楽しくやっている、とのことだった。そのメールを読んで、なんてスゴいヤツなんだ! と感心したのを覚えている。なぜなら当時のボクはただのバックパッカーであり、旅ズレしているとはいえ、現地で金を稼ぎながら生活をするという発想など微塵も持ち合わせていなかったからだ。

 コウイチくんは食事、睡眠、仕事以外のほとんどの時間をサーフィンに費やすという生活を数か月続けたのち、日本へと帰っていった。その後は一切連絡を取っていないが、今思えば、『現地で金を稼いで生活をする』というヒントを与えてくれたのはコウイチくんだったのかもしれない。その後、ボクも路上にたむろするヒッピーたちにマクラメアクセサリーの作り方を学び、現地で働きながら生活をすることになるのだが、懐かしい記憶である。

 そんなことを思い出しながらイタカレの町を歩いていたが、今回の旅行が決定したのは一週間前のことで、唐突といえば唐突であった。長年の露天商仲間のひとりであるヂエゴに『イタカレという町でちょっとした知り合いがPousada(民宿)をやっている。グループでいけば安くなるので一緒に行かないか? パッチャンカとミシェウも参加する予定だから』と誘われたのである。

 これを聞いた瞬間、ボクは眉をひそめざるを得なかった。なぜかというと、これまでにも何度かそういう話をされたことはあるが、実現したことなど一度もなかったからである。『あたりさわりのない関係でなら良い奴だけど、口先だけの食えない男』、それがヂエゴに対するボクの印象だったのだが、どうやら今回はマジで行くらしい。その情熱にほだされ、半信半疑のまま宿泊先への前金だという300レアルを支払い、多少の不安を感じながらも事の成り行きを見守っていたら、いつの間にかイタカレに着いていたというわけだ。

 今回参加したのは、ブラジル人アミーゴの3家族とボクとちゃぎのの計14人。それぞれの家族には子どもが1人から3人おり、カップルだけで参加したのはボクたちだけだった。どんな珍道中になるのか期待と不安が入り混じっていたが、まず一番最初に驚かされたのはヂエゴの車である。ピカピカのシボレーS10。トヨタでいえばHilux にあたるラインの高級SUVが彼の愛車だとは知らなかった。いつの間にこんないい車を買ったんだよヂエゴのやつ? 仕事にはボロボロのワゴン車で来ていたのに、実はこんな車を隠し持っていたとは。訝しみつつも、この旅行では彼の車に分乗させてもらうことになっていたので、ボロ車よりははるかに安心である。なにせ片道約400キロもの道のりを走らねばならないのだから、車のコンディションは重要だ。ヂエゴとは10年来の付き合いだが、プライベートで遊んだことはほとんどなく、彼の運転する車に乗るのも今回が初めてである。結論からいうと、ボクもちゃぎのも生きた心地がしなかった。マシンの性能が素晴らしいのは言うまでもないが、それ以上にヂエゴの運転が『ワイルドスピード』そのものだったのである。前方の見通しが悪いところでも躊躇なく対抗車線に突っ込んでいき、次々と車を追い抜いていく。何回か『本気でヤバいかも』という場面もあり、その度に小さなキンタマをさらに縮こませていたボクであったが、ちゃぎのもワキ汗をびっしょりとかいている様子であった。しかしヂエゴの細君であるヴィヴィアーニとひとり息子のギエルミ(9歳)は平気な顔でスマホをいじくっていたので、慣れとは恐ろしいものである。事故に遭わなかったのは、ブラジル人がよく口にする『Graça a Deus (神のおかげ)』、まさにその一言に尽きるだろう。

 イタカレはさすが海辺の町というだけあって、異国情緒の豊かなところであった。ボクらの住む山村では食べることのできない海鮮レストランや、カカオの実がズラリと並べられたフルーツジュースの屋台、小洒落た土産物屋などがヤシの木を背景に密集している。

 他所から移り住んできたヒッピーやサーファーたちの姿も数多く見受けられ、彼らは自らのartesanato(手作り品)を観光客に売り込み、生計を立てているようであった。欧米の観光客が積極的に訪れるようなリゾートエリアではないが、たまにスペイン語が聴こえてくることもあり、その度にボクは2009年の南米旅行を思い出した。ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイなどの国々を数か月かけて周った日々は、まさに青春のメモリーである。

 トロピカルなムードが漂うイタカレのビーチエリアをブラブラ歩いていると、タトゥーだらけの水着美女たちがこんがりと焼けた肌を見せつけるように闊歩している。ボクとちゃぎのはサングラス越しにその様子を眺め、品定めをし、うっかりビーチサッカーでもしている美女を発見しようものなら、おっぱいポロリ、またはそれ以上のハプニングを期待して、目を皿のようにしていた。平和なおとぼけカップルである。

 このようにして、露天商仲間のブラジル人たちとイタカレ旅行を楽しんだボクらだったが、もちろんトラブルがなかったわけではない。その騒動の中心はやはりヂエゴで、問題は彼が段取りをしたPousada(民宿)にあった。事前の説明では、それぞれの家族・カップルには部屋が平等に割り当てられるということであったが、着いてみれば話がまるで違っていたのである。

 この3階建てのPousadaには部屋が6室あるが、我々のグループはそのうちの2室を借りた。ここまではいい。だが、その割り振りが納得のできるものではなく、ヂエゴファミリーは自分たちのためだけに1室を丸々使い切り、パッチャンカファミリーとミシェウファミリー、そしてボクとちゃぎのの計11人は、もう1室の方にギュウギュウに押し込まれることになったのである。しかもヂエゴの部屋にはエアコン、テレビなどの設備も充実しており、その不平等は明らかであった。皆同じ金額を支払っているはずなのに…と、これに激怒したのがパッチャンカの妻であるニヤだ。血相をかえてヂエゴの部屋に抗議に行こうとしたが、争いを好まぬパッチャンカが必死にそれを押しとどめる。ミシェウも『ヂエゴはサビードでエスペルトだ』と苦い顔をし、ミシェウの婚約者であるカルレイジも漆黒の肌をブルブルと震わせながら、『アイアイ』と怒りを押し殺していた。やはりこれがヂエゴという男の本性である。後に、彼の宿泊代金は、我々からピンハネした代金でまかなわれていたことも発覚し、一同さらに憤慨することになるのだが、これもブラジルではよくあることである(少なくともボクの周りでは)。

 このようなずる賢い人間のことをポルトガル語で『sabido(サビード)』や『esperto(エスペルト)』などと表現するが、その代表選手がヂエゴだったというわけだ。とはいえ、民宿の人間とやり取りをし、この旅行をオーガナイズしたヂエゴにとってみれば、当然の報酬と思っているのかもしれない。

 今回の件ですっかり株を落としてしまったヂエゴだが、本人はまったく反省せず、『宿の人間の手違いだ!』と、人のせいにしているというのだから、さすがはブラジル人といったところであろうか。

 とはいえまあ、旅行自体はとても楽しかったので良しとしてやろう。


白洲太郎(しらすたろう)
2009年から海外放浪スタート。
約50か国を放浪後、2011年、貯金が尽きたのでブラジルにて路上企業。
以後、カメローとしてブラジル中を行商して周っている。
yutanky@gmail.com
Instagram: taro_shirasu_brasil
YouTube: しらすたろう
Twitter: https://twitter.com/tarou_shirasu


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