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横断幕文字を書き続けた佐々木正男(ささき・まさお)さん 移民の肖像 松本浩治 2021年10月号

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#移民の肖像
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#松本浩治 (まつもとこうじ) 写真・文

佐々木正男さん[1]

 ブラジル徳島県人会長や老人クラブ連合会(現・ブラジル日系熟年クラブ連合会)副会長などを歴任した佐々木正男さん(徳島県出身)は、数十年にわたって日系団体等から依頼された横断幕の文字を自筆で書いていた。字を書くことが上達した背景には、若き日の忘れられないロマンスがあったという。

 佐々木さんは18歳の時、自ら志願して徳島西部軍33部隊に入隊。乙種士官候補生として昇進し、4年後には軍曹になっていた。当時、佐々木さんは徳島県内の市役所の戸籍課で働く恋人と手紙のやりとりをしていた。

「彼女は戸籍課にいたこともあって、字がとても達筆でした」

 しかし、当時、字を書くことに自信がなかった佐々木さんは、恋人から手紙が来ても返事が書けず、字の上手な同僚に代筆を頼んでいた。戦時色が濃くなり、周りの同僚が戦地に赴きだすようになると、代筆を頼める人もいなくなった。終戦前年の1944年には佐々木さんにも中国・福州行きの任務が下り、恋人とのやりとりは途切れてしまった。 その後、恋人との手紙のやり取りをしたい一心で、字を書くことに執着心を覚えだした佐々木さん。戦地を逃れて誰もいなくなった中国人の家の中に残された硯(すずり)や筆を持ち帰っては、新聞の活字を手本に木片や紙屑などに字を書く練習を繰り返したという。

 日本の敗戦により、2年近く上海で捕虜生活をおくった後、徳島に帰郷して復員した。しかし、恋人はすでに佐々木さんが戦死したと思い、別の男性と結婚していた。

 戦後の職がない中で消防署への勤務が決まった佐々木さんは戦地での字の練習が実り、署内の庶務課に抜擢されたことで、さらに字を書くことが上達していった。

 56年にブラジルに渡ってきた佐々木さんは当初、パラナ州カンバラ移住地に入植したが、同地で過ごした17年間は慣れない生活に追われ、字を書くどころではなかったという。その後、サンパウロ近郊のサント・アンドレ市に転住。生活に余裕が出てきた佐々木さんは、地元のサント・アンドレ文化協会で改めて書道を習いはじめ、字の上手さが評判となった。これがきっかけとなり、同文化協会等の日系団体から周年行事など記念式典の際の横断幕の文字書きを依頼されるまでになった。特に、横断幕は字の達筆さはもとより、文字の大きさや平衡性なども要求されるため、素人が書くのは難しいとされてきた。

 そうした中、佐々木さんがこれまでに引き受けた文字書きは「数え切れないほど」で、式典の横断幕をはじめ、舞台の垂れ幕書きなど、その達筆さはプロ顔負けの技術と称えられた。

 近年では、紙に一度書いたものを知り合いの写真屋で拡大コピーして横断幕に貼り付けたりするなど時代も変わってきたが、それでも基本となる字体は佐々木さんの直筆だった。

「カラオケも社交ダンスもできないし、芸はこれだけですよ」
と笑っていた佐々木さんは、晩年も現役で横断幕の文字書き作業を続けていた。何事も「一芸に秀でる」ためには熱い情熱が必要だが、佐々木さんの場合は恋人への熱い情熱が、文字書きを上達させた。

 ちなみに、昔の恋人は20年ほど前は健在で、佐々木さんが日本に一時帰国する度に会っていたとし、互いに当時のことを懐かしんでいたそうだ。

 その佐々木さんも2005年9月に亡くなった。享年82歳だった。

(故人、2000年4月取材)


松本浩治(まつもとこうじ)
在伯25年。
HP「マツモトコージ写真館」
http://www.100nen.com.br/ja/matsumoto/


月刊ピンドラーマ2021年10月号
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