見出し画像

VEJA誌(2021年9月20日号) ブラジル版百人一語 岸和田仁 2022年6月号

#ブラジル版百人一語
#月刊ピンドラーマ  2022年6月号 ホームページはこちら
#岸和田仁 (きしわだひとし) 文

19世紀末から20世紀初めにかけての30年間、主にヨーロッパからやってきた、およそ400万人の移民たちにとっては、ブラジルは「希望の港」そのものであった。彼らの大多数は、戦争や飢餓から逃れ、熱帯の地において人生を新たにやり直すべく大西洋を渡った。農作業の現場で働く外国人労働者を呼び寄せ、まだまだ手付かずの広大な未利用地の開発を奨励することを目指した、ブラジル政府による様々なプログラムに、彼らは惹かれたからであった。ところが、最近になって、特にここ30年ほどのあいだに、この人流の方向は逆転し、入る移民よりも出る移民のほうが増えており、この出国ペースは2019年以降加速してきている。この国外脱出者増大傾向はジャイール・ボルソナーロが大統領になった時期に合致しており、ブラジルを出国した人の数は20%以上も増加し、現在では420万人に達している。これは、ブラジルの歴史において記録的な数値である。新型コロナ感染パンデミックのため世界中の国々が国境を実質的に閉鎖した現実を勘案するならば、最近二年間のこうしたコロナ禍にも拘わらず(ブラジルからの)出国ペースが加速したとは、驚嘆すべきことである。

veja誌 2021年9月29日号

もう10年以上前のことだが、2007年5月、所用があって筆者は米国東部を訪問した。ノースカロライナでのヤボ用を片付けてから、折角の機会だから「アメリカ発祥の地」を見ておこうと思いたち、マサチューセッツ州プリマスを訪ねてみた。プリマス港に係留された「メイフラワー号」原寸大複製船では当時の服装をしたスタッフが17世紀の英語発音で時代情勢を言葉巧みに説明してくれたのが滅法興味深く、筆者も調子に乗って、「自分はブラジル在住の日本人だが」と自己紹介してから、「1620~1630年代というと、日本では三代将軍徳川家光が江戸幕府の基盤を整備し、国を閉じる鎖国体制が確立した時代だったが、一方、当時世界最大のサトウキビ生産国であったブラジルはオランダの支配を受けたりしながらも砂糖ブームを謳歌していた」などと混ぜっ返したところ、彼も真面目に、「JapanのEdo(Tokyoとは言わず)では~」なんて即興の返答で歴史談義が始まったり、と面白い展開になったりした。また、ピルグリムファーザーズの入植地を再現したテーマパーク「プリマス・プランテーション」は、当時の衣装を着たスタッフが畑を耕し、鍛冶場では赤く焼けた鉄にハンマーを叩きつけ、と「ライブの17世紀野外博物館」となっていた。

ボストン行きバスを待つ時間、近場のマック(その辺りではコーヒー店はマックしかなかった)に入ってコーヒーを飲んだのだが、その時アテンドしてくれたスタッフ5人のうち4人がブラジル人だった。

プリマスは人口5万人ほどの中規模都市だが、タクシー運転手(パキスタン人だった)に訊いたところ、市内には、ブラジル料理店が3軒あり、在住ブラジル人も多いとのことだった。

ボストンに戻って宿泊していた安ホテルの清掃係に話かけたら、二人共ともブラジル人(ミナス出身)で、夕食でファストフード店に入ったらウェイトレス3人全員がブラジル人、さらにはホテルの近くのスーパーを覗いてみたが、食品売り場の一角が「ブラジル食材コーナー」で、店舗内のあちこちからポ語が聞こえてきた。当時、米国在住の出稼ぎブラジル人の数は100万人といわれていたが、ボストンやプリマスの位置する米国北東部はブラジル人集積地域の一つであった。まさにその事実を実体験したことになる。

あるいは2009年8月、ポルトガルのコインブラで食事した時、レストランの給仕係はブラジル人女性だったし、リスボンやポルトの街中を歩いていると、聞こえてくるのは、ポルトガルのポ語よりも、ブラジル人のポ語のほうが多かった。声高に話しがちのブラジル人の声量がデカイのだから、よく耳にはいってきたのは当然であった。

たまたま、筆者自身が直接実体験した卑近な例をいくつか記してみたが、1990年代に入って本格化したブラジルから海外への出稼ぎ労働者の大量移動は、2019年からまた急増している、というのがVEJA誌(2021年9月29日号)特集記事の内容であった。

この記事に付されている図表によれば、2009年318万人だったが、2012年に200万人台に減少、2019年から再上昇して2020年421万6千人、これが国外在住ブラジル人の数であり、出稼ぎ先としては、従来からの米国とポルトガルに加え、新規移住先としてアイルランド、メキシコ、ウルグアイ、オーストラリア、イタリアなどが挙げられている。

ちなみに、2020年時点の在外人口順位は、①米国(177万)、②ポルトガル(27万)、③パラグアイ(24万)、④英国(22万)、⑤日本(21万)、⑥イタリア(16万)、⑦スペイン(16万)、⑧ドイツ(14万)、⑨カナダ(12万)、⑩アルゼンチン(9万)、となっている。

この巻頭コラムのタイトルは、”A Diáspora Brasileira”(ブラジル人の海外離散)で、特集記事のタイトルは、”BYE-BYE, BRASIL”であった。冒頭に引用したのは、この巻頭言の前半部分である。


岸和田仁(きしわだひとし)​
東京外国語大学卒。
3回のブラジル駐在はのべ21年間。居住地はレシーフェ、ペトロリーナ、サンパロなど。
2014年帰国。
著書に『熱帯の多人種社会』(つげ書房新社)など。
日本ブラジル中央協会情報誌『ブラジル特報』編集人。


月刊ピンドラーマ2022年6月号
(写真をクリック)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?