VEJA誌(2021年9月20日号) ブラジル版百人一語 岸和田仁 2022年6月号
#ブラジル版百人一語
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#岸和田仁 (きしわだひとし) 文
もう10年以上前のことだが、2007年5月、所用があって筆者は米国東部を訪問した。ノースカロライナでのヤボ用を片付けてから、折角の機会だから「アメリカ発祥の地」を見ておこうと思いたち、マサチューセッツ州プリマスを訪ねてみた。プリマス港に係留された「メイフラワー号」原寸大複製船では当時の服装をしたスタッフが17世紀の英語発音で時代情勢を言葉巧みに説明してくれたのが滅法興味深く、筆者も調子に乗って、「自分はブラジル在住の日本人だが」と自己紹介してから、「1620~1630年代というと、日本では三代将軍徳川家光が江戸幕府の基盤を整備し、国を閉じる鎖国体制が確立した時代だったが、一方、当時世界最大のサトウキビ生産国であったブラジルはオランダの支配を受けたりしながらも砂糖ブームを謳歌していた」などと混ぜっ返したところ、彼も真面目に、「JapanのEdo(Tokyoとは言わず)では~」なんて即興の返答で歴史談義が始まったり、と面白い展開になったりした。また、ピルグリムファーザーズの入植地を再現したテーマパーク「プリマス・プランテーション」は、当時の衣装を着たスタッフが畑を耕し、鍛冶場では赤く焼けた鉄にハンマーを叩きつけ、と「ライブの17世紀野外博物館」となっていた。
ボストン行きバスを待つ時間、近場のマック(その辺りではコーヒー店はマックしかなかった)に入ってコーヒーを飲んだのだが、その時アテンドしてくれたスタッフ5人のうち4人がブラジル人だった。
プリマスは人口5万人ほどの中規模都市だが、タクシー運転手(パキスタン人だった)に訊いたところ、市内には、ブラジル料理店が3軒あり、在住ブラジル人も多いとのことだった。
ボストンに戻って宿泊していた安ホテルの清掃係に話かけたら、二人共ともブラジル人(ミナス出身)で、夕食でファストフード店に入ったらウェイトレス3人全員がブラジル人、さらにはホテルの近くのスーパーを覗いてみたが、食品売り場の一角が「ブラジル食材コーナー」で、店舗内のあちこちからポ語が聞こえてきた。当時、米国在住の出稼ぎブラジル人の数は100万人といわれていたが、ボストンやプリマスの位置する米国北東部はブラジル人集積地域の一つであった。まさにその事実を実体験したことになる。
あるいは2009年8月、ポルトガルのコインブラで食事した時、レストランの給仕係はブラジル人女性だったし、リスボンやポルトの街中を歩いていると、聞こえてくるのは、ポルトガルのポ語よりも、ブラジル人のポ語のほうが多かった。声高に話しがちのブラジル人の声量がデカイのだから、よく耳にはいってきたのは当然であった。
たまたま、筆者自身が直接実体験した卑近な例をいくつか記してみたが、1990年代に入って本格化したブラジルから海外への出稼ぎ労働者の大量移動は、2019年からまた急増している、というのがVEJA誌(2021年9月29日号)特集記事の内容であった。
この記事に付されている図表によれば、2009年318万人だったが、2012年に200万人台に減少、2019年から再上昇して2020年421万6千人、これが国外在住ブラジル人の数であり、出稼ぎ先としては、従来からの米国とポルトガルに加え、新規移住先としてアイルランド、メキシコ、ウルグアイ、オーストラリア、イタリアなどが挙げられている。
ちなみに、2020年時点の在外人口順位は、①米国(177万)、②ポルトガル(27万)、③パラグアイ(24万)、④英国(22万)、⑤日本(21万)、⑥イタリア(16万)、⑦スペイン(16万)、⑧ドイツ(14万)、⑨カナダ(12万)、⑩アルゼンチン(9万)、となっている。
この巻頭コラムのタイトルは、”A Diáspora Brasileira”(ブラジル人の海外離散)で、特集記事のタイトルは、”BYE-BYE, BRASIL”であった。冒頭に引用したのは、この巻頭言の前半部分である。
月刊ピンドラーマ2022年6月号
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