ちょっと前にヨーロッパ横断をした話 4(11/9 ポーランド クラクフ、アウシュビッツ)
今回の移動は、車中泊になる。
勢いでどうにかなるかと思い、この便より断続的に夜行バスに乗る事となる。
格安バスではあるが、居住性はまずまずであった。
今回のバスでは、相席になる人がおらずエコノミーファースト状態で一晩を過ごす事が出来た。
とは言っても、夜中のバスは肌寒いうえ、座席の形状から素直に横の姿勢になることは難しかった。
ネックピローを枕代わりに、またジャケットを布団にして何とか眠れそうな態勢になった。
覚醒と睡眠の狭間を彷徨っていると、次第に車窓から朝焼けの景色が現れる。そこに魔女がいても、まるで違和感が無い。
おおよそ、3~4時間の睡眠はとれたと記憶している。それだけ取れていれば及第点だ。
バスの旅は思ったよりも短く感じた。
携帯の電波も通じないため、やることが徹底的に無い。
逆にその状態が観念しやすかったのだろう。ひたすら無心に漆黒の車窓を見つめていたら、案外早く時間が過ぎた。
悪くはないなと思った。
外が完全に明るくなって間もなくすると、バスはポーランドの都市クラクフに到着した。
眠気覚ましにコンビニに行くと、ガムが20円くらいで売っている。
ポーランドは物価が安く、生活には困らなそうだ。
クラクフでは、友人と待ち合わせをしていた。その友人は、現地で留学している。
駅の適当なところで座って暫くすると、友人が迎えに来てくれた。
特にクラクフで何かをしたい等と伝えていなかったため、ゆるーく街中を散策することになった。
トラムに乗り、行きつけの大きなスーパーマーケットに行く。
スーパーマーケットは、ヨーロッパ内だと大体が同じ見てくれだ。
その国の特徴を感じる局面は様々だが、ポーランドではスーパーにいた人の様子だがそれにあたった。
人々の表情が冷たい。
これまで訪れた国とは明らかな差異を感じた。
陸続きのはずなのに、土地が違うだけで人柄がこんなにも変わってくるものかと不思議に感じた。
街の中心部に戻り、旧市街を散策。ヨーロッパの多くの街は、聖堂がその中心となり形成されている。
クラクフの旧市街にも聖堂の周りに広い広場があった。
この様な広場は、観光客向けのビジネスが主に展開されている。レントランや、お土産屋さん、パフォーマーなどが集まっている。
日本の、「広場」とはまた違う感じだ。
ヨーロッパの広場は、「そこで過ごすこと」が目的で、日本でよくある「待ち合わせの場所」とは違った意味合いを持っているようだ。
その後、もう一人の友人と合流した。
合流した足でそのまま夕食を取る事に。
この旅が始まって以来、初めてこれ程の大人数(3人)で食事をした。
旧市街の広場のレストランにて豪遊した記憶がある。
一人の食事にお金をかけても仕方がないから、普段は極めて質素な食事だったから、この時くらいはいいだろうと思った。
各々の留学先についての話に花を咲かせ、あっという間に時間が過ぎる。話した内容は今ではあまり覚えていない。
翌日は、アウシュビッツ強制収容所に行くことにした。
クラクフからほど近く、バスで1時間程度の所にある。
ツアーバスのような大型バスに乗車し、車内補助席も稼働するほどに満席になると出発した。
定刻通り、アウシュビッツに到着。
入場の入り口には、長蛇の列が見える。様々な国籍の観光客が万遍なくいる。さすがは、世界中に名の知れた施設。
中に入ると一面にがる収容所は、異様なほどに綺麗に残っている。
まるで今も現役かのようだ。
上の写真のように、建物の多くはその当時の原型をとどめている。
それぞれの建物の多くに立ち入ることができ、各建物ごとに決められたテーマの展示がされている。
展示の多くは、犠牲者の写真やその遺品。
ここで大量のユダヤ人が犠牲になった事は、多くの人が知っている。インターネットを使えば、簡単に犠牲者の数や、収容所での出来事等の情報を知ることができるだろう。
当時、自分がそこで知った「情報」がいかに軽薄なもの知ることとなる。
収容所では被害者の数、被害者の膨大な量の髪の毛を集めてできたプールとして表されている。
下の写真の名簿の異様な大きさも、事の深刻さを暗示していた。
数字はただの記号であり、それがどんな実態なのかを伝えるのかには不十分である事に痛感した。
展示内容をここで深く書くつもりは無い。
その代わり、ヨーロッパに行くことがあれば必ず行くべき所だと強く感じた事は伝えたい。
同じ人間がした事とは到底思えないことが、絶対的な根拠を見せつけられることで、強制的に向き合わなければいけなくなる。
この経験は、授業だけでは決して再現できない。
クラクフに戻り、再び市街地を散策する。
気晴らしにカフェにて美味しいパンケーキなんか食べたりした。
パンケーキはしっかりと甘い味がした。心なしか、ほっとした気持ちになった。
その晩のうちに、友人と別れを告げて自分はプラハに向けて緑色のバスにお世話になる。今回も夜行便だ。
プラハは複数の友人から行くことをお勧めされていたので、自分の中では下馬評が高い。
この数日は戦争の是非について思いを巡らせていたので、ここはひとつ気持ちを高揚させて漆黒の車窓を眺めることとしよう。
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