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ピラティスやヨガをする目的

察知する動物たち

地震が来る前日だったり、数時間前。
鳥だったり、動物たちがその予兆を察知して、普段にない動きをする映像を観たことがあります。

僕たちは鈍感だからか、それに気づくことができません。

地震を察知した鳥(トルコ大地震)

鈍感な夫

ある日、夫は妻から離婚を切り出される。
「子育てもひと段落ついたので、もうあなたとは…」

定年退職後の、仕事に生きた夫の悲劇。
そんな定番の安っぽいドラマにも、耐え続けた妻の存在があって、妻はきっと何度もシグナルを送っていたはずなのです。

夫は鈍感だから、妻のサインに気づかなかっただけなのでしょう。
夫婦円満、仲良かったのなら、すぐに離婚なんてあり得ません。

猫は気づいていたかもしれない

ぼくも離婚経験者だからわかるけれど、当時のぼくは鈍感だったんです。もし耳が痛いと感じた人がいたとしたら、今からでも自分の鈍感さを解消することはできます。もっとも鈍感な人なんてこの世にそんなにいなくて、ほとんどの人は忙しすぎて、ストレスが多すぎて、その結果、鈍感な状態に一時的になっているだけだと思うんですよね。

病気の宣告

癌など、大きな病気の場合。
医師から宣告されて、戸惑う人がほとんどです。

交通事故など、アクシデント的なもの以外、ほとんどの病気は日々の延長線上に、"日々の過ごし方の結果"として起こっています。

医師から「あなたはステージ○の癌ですね」と宣告される、もっともっと前から、刻々と健康は損なわれていたはずです。免疫は機能不全に陥り、徐々に身体は悪くなっていたはずなのです。身体の声を無視し続けて、その結果、その宣告を受けたのです。

原因と結果の法則は、事故などの不幸以外は成立しています

小さなもの、例えば、虫歯だってそうです。
健康的な歯が、翌日にいきなり虫歯になったわけではないのです。

「口中、虫歯だらけで大変なんだよ」
友達がそんなことを話してきたら、「大変だね」と返しつつ、「歯磨きしていなかったのかな」「案外、だらしないヤツなんだな」などと思ったりするのではないでしょうか。

でも、「俺は、癌になったんだ」と言われて、「自分を大切にすることもできない人間なのか」「ストレスマネジメントもできないのか」などと、僕たちは思ったりはしません。もちろん、僕も言葉を失うでしょうし、親しい人であれば、ショックを受けます。でも、虫歯と同じことが起きているはずなのです。

絶対に、予兆が、前兆が。
なんらかのサインが、なんらかのシグナルが。
絶対に、あったはずなのです。

そして、この文章を読んでいるのなら、もうその読んでいるという行為そのものが、前兆を感じ取る繊細さがあるとも言えます。鈍感な人はこの文章に出会うはずもありませんから。予兆や前兆が感じ取れているからこそ(既に、これから)、君と僕はインターネット上とはいえ、出会えたのではないか。そんな気がします。

マットの上で感じる、世界との関わり

例えば、ある日のぼくはピラティスをするとき。
マットに対して、少し斜めになっていることに気づきました。

空間認知、空間認識能力がおかしい。
この世界との関わり合いに、何かおかしなことになっているのではないか。

その日、一人になって自分の生活を省みる時間を作りました。
虫歯になる前のあの歯茎からの出血、そんな感じで大きな問題が起こる前の予兆を感じ取ったのです。

「今の自分は、何かがおかしい」
この感覚、感性が僕を何度も助けてくれました。

また、こんなこともありました。

マットの上で感じる、身体の内側の変化

ヨガのレッスンを受けに行ったある日。

仰向けにマットの上で寝ると、背中のつき具合がいつもと違う感じに気付きます。毎日それは確かに違っているはずではありますが、何か感じる違和感。毎日プラクティスをしているから、毎日、ヨガやピラティスをしているから感じ取る「何か違う」という感覚。

フェルデンクライスなどでは必ず、最初にボディスキャンをします

一人になった後、また身体の内観(ボディスキャン)をして、左側の腎臓がどうもおかしいのではないかと、その日感じました。この辺りの勘は、どれだけ対話を続けているかで、正確性が変わってきます。小さな子供がグズっている時、親は「あ、トイレに行きたいのね」など察知できますが、他人のぼくにはさっぱりわかりません。同じことです。自分の身体と対話を続けると、ハズレることもあるでしょうが、なんとなく、見えてきます。

そして、食事だったり、生活を見直します。
ヨガのレッスンで仰向けになったあの刹那、ぼくは予兆を感じ取ったのです。

前兆を感じとる

マッチョ思考(男らしさや男性的な逞しさを重んじる思想、考え方)、根性論、我慢と努力の世界に生きていると、前兆を感じ取ることができません。

漫画やゲーム、スポーツ観戦。アイドルの追っかけ。競馬やパチンコなどのギャンブル。エンターテイメントにエネルギーを割きすぎても、前兆を感じ取ることはできません。

誰かになろうと懸命に努力しても、難しいアーサナ(ヨガのポーズ)ができるように必死になっても、前兆を感じ取ることはできません。

だから、ヨガやピラティスをしているなら前兆が感じ取れるようになりますよ、と。そういうお話でもありません。

ぼくの求めているピラティスへのスタンス。
ヨガへのスタンスは、もっと対話的なものです。自分との対話

自分の中のアウェアネス(気付き)の発芽、それを促すための、養うための身体運動としてヨガやピラティスが機能する。そんな質感のボディワークをぼくは好みます。

1日1日、鍛えること、強くなること。
よりしなやかになること、成長することも大切です。

でも同時に、アウェアネス(気付き)
自分自身とのダイアローグ(対話)としての、ピラティスやヨガ。
それを続けていると、きっと、君は予兆が少し感じ取れるようになるはずです。

「アウェアネスがすべて」(エド・モーピン博士)

「あ、この人最近、悩みごとがあるんだな」

そんな他人への気付きも、この態度でピラティスやヨガをし続けると、幾分、以前よりは見えてくるようになります。

これは、僕たちの人生において、とても大切なことだと思うのです。

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