お店で料理する人から、ピラティスインストラクターになったのはなぜ?
料理学校を卒業した私は9年間都内の飲食店に勤めました
最初の4年はここ。
https://www.instagram.com/ruefavart?igsh=MXdnbnM1bW9ja2Q5Yw==
卒業してすぐに
このお店に一目惚れして働かせてもらうことに
就活スーツを着て面接にいったら
場違いな感じだったのが
今でも印象に残っています
そのお店で働くスタッフのオシャレな感じと
生き生きした笑顔と
気取りすぎてない
カジュアルな料理を見て
絶対働きたいと
このお店には4年間働きました
ここで出会った人と今は結婚しています。
オーナーは当時とは変わったようですが
料理やケーキ、ソフトクリームも
変わらない味のようです恵比寿の東口から
歩いてすぐの場所なので
恵比寿に行った際は是非行ってみてください
その後、はすぐにここへ。↓
ご縁があり、
オープンから働かせてもらいました
元々は静岡県の沼津のブリュワーで作られた
クラフトビールなのですが
今はブリュワリーが伊豆国市に移転しています
どちらにしても、私の実家がある
静岡県の伊豆の方は緑豊かで
お水が美味しいので
ビールもとっても美味しいんです
アメリカ人のオーナーさんと
奄美大島出身の奥様が2人で力を合わせて
最初はとても小さい規模から始めましたが
今では世界各国で
ベアードビールがひたしまれるように
なっています
ここでは、自分でメニューを考えて
特別なコースを提供させていただいたり
キッチンの中でたくさんの学びがありました
ビール屋なので、陽気な外国人のお客様や
ビール好きが多く
お客様との距離感が近いのも
働いていてすごく心地の良い空間でした
このお店で女性シェフとしてトップに立って
やってほしいとシェフに言われたものの
私は、すごいチャンスだyes!!
と答えられませんでした
それは・・・
私はまだ当時26歳、夢や未来があったから。
私は19歳の時に、フルマラソンにハマり
プーケットマラソンやホノルルマラソンに
出場し、
ピラティスも並行して始めました
長時間走るためのピラティスと
元気に働くためのピラティス
として
仕事の前にほぼ毎日
中目黒のピラティススタジオに
通っていました
仕事で疲れて帰ってきても
次の日のピラティスで身体と心を
リセットする
その繰り返しで
私のマインドは維持されていました
料理の仕事は、立ちっぱなしや
重いものを持つことが多く
(女性だからと言って容赦ない)
身体への負担も大きいです
それから結婚し、子供も欲しい・・
そうなってくると
その時のような夜23時過ぎまでの
労働は体に負担がかかってるんじゃないか、とか
ピラティスしていても
こんな仕事をしてるから
なかなか妊娠できないんじゃないか、とか
色々考える時期でした
身体の健康を守ることを第一に考えるとすると
一旦、飲食店から離れて
健康を伝えていく側になりたい
受けて満足するだけではなく
もっとピラティスで健康で強い身体を作る
サポートがしたい!
そう強く思いました
ピラティス養成中は
学びが多く、楽しいもありましたが
辛いこともありました
好きだったピラティスが
嫌いになってしまうことも
ありました
当時、26歳で大きな身体の変化を感じたわけでは
ないけれど
大きな変化を感じる前にできることが
たくさんあるんですよね
私はそこで気づくことができて
今は健康的に強い心で過ごすことができています
ピラティスインストラクターとして
料理人として
両面から、
いつまでも健康的なこころと身体でいるための
手段を、今はメキシコから
お伝えしています
今、何かやりたいこと
挑戦したいことが
ある20代の方であれば
私は絶対やっといた方が良いと
思いまーす。
私はメキシコに今家族で住んでますが、
まさかメキシコに来ることになるなんて
当時は予想もつきませんでしたし☺️
やりたいことは
今やる!
ですね
最後まで読んでいただき
ありがとうございました