現代人の貧乏人が不幸にならないための2つの方法
こんにちわ。ぴくむんです。
私は、
小さい頃から実生活で役に立たない学問ばかり教えられる。
「現代社会でダイレクトに役に立つ学問がない」
研究は、勉強の醍醐味であるのに大多数の人がやっていない。
「大多数の人は研究をする機会がない」
ことに対して疑問を覚えていました。そこで、
国なんてあてにせずに
自分の力で「実生活に直接役に立つ学問の確立」することや、
大学に行かなくても「誰でも研究できる環境の整備」する活動を始めようと思いました。
この記事では、「実生活に役に立つ学問の確立」の一歩として、「貧乏と貧困」の違いから出発し、「貧乏人が不幸にならないための2つの方法」を論じてみました。参考になれば嬉しいです。
それでは、よろしくお願いします。
以下、本文。
最近、年配の方が住んでいるお宅を訪ねる機会があり、その時にコーヒーとお菓子をいただき、とても良くしてもらった。嬉しい限りである。
しかしふと周りを見渡すと、お世辞にも裕福な暮らしはしている様には見えなかった。
お家にお邪魔している身分でこんな事を考えるのは失礼極まりないが、ふとYoutubeの岡田斗司夫さんが語っていた「貧乏と貧困の違い(1)」の内容がふと頭をよぎったのである。
この違いを皮切りに私の思考の旅が始まった。
貧乏と貧困の違いは、「乏」と「困」の違いである。
貧の意味は、生活レベルが低い。
乏の意味は、物資が足りない。
困の意味は、苦しむ。
つまり、
貧乏の意味は、生活レベルが低くて、物資が足りない。
貧困の意味は、生活レベルが低くて、苦しむ。
である。
ここで、「蒼太の包丁」という漫画を紹介する。
「貧乏」と「貧困」をわかりやすく漫画にしたものである。
このページでの、おっさんはかつて既婚者で子供もいて、その後離婚して今は独り身になったという設定である。(https://neet3.hatenablog.jp/entry/2019/04/23/210000 参照)
決して生活レベルは高くないが、安価で美味しいおつまみを自作して、晩酌しながらテレビを楽しんでいる。つまり、このページでは生活レベルが低いが楽しく過ごし困っているので、貧困ではない。ただの幸せな貧乏である。
このページからわかることは、別に生活レベルが低くても工夫さえすれば幸せになれるということである。現実にも、貧困でも楽しく生きている人は山ほどいると思うので、そこまで不思議だとは思わない。
さて、問題は次のページである。
ちなみに「この45年間必死に生きてきた結果が、これなのか?」は、某掲示板サイトでは有名な名言である。
おそらく2ページ目のおじさんは、ふと寂しさを感じ、涙を流しながら悲しんでいる。つまり、2ページ目のおじさんは貧乏というよりかは、貧困と表現した方が適切だろう。
さて、あくまでも漫画を例に挙げているが、
人によってはあくまでこれは漫画の世界であるので、私はそうは思わないと指摘する人も居るだろう。
確かにそう思う声もあると思うが、
個人的には、世の中には漫画のおじさんと同じ様に以下の声の人が多いのが実情な気がする。
何とも思わない人は一旦置いといて、
この様な状態に陥ってしまった貧乏人は不幸になるしかないのか。
否、貧乏人でも幸せになる方法は、大きく分けて2つあると思う。
これからは、橘玲の「幸福の資本論」で紹介された内容であるが、
人間には、上図の様に3つの柱(金融資産、人的資本、社会資本)がありこの柱が全てなくなれば人は、貧困になると言われている。
ここでは貧乏人の議論がしたいので、金融資産つまりお金はないことが前提なので、我々が戦える範囲は人的資本と社会資本である。
人的資本は、簡単に言い換えると能力である。能力を鍛える事により給料が増えることや自己実現を達成できる。私流に言い換えると、成長能力である。
人は年収が800万円超えるまでは、給料と幸福度は概ね比例する。したがって、給料が上がり続ける間は、基本的に人は不幸にはならない。また、給料が上がらないにしても能力が上がれば上がるほど、成長を実感できれば人は不幸になりにくいと言われている。つまり、人は成長し続ける限りは不幸になることはない。
しかし、現実問題、我々は生活するために働かなくてはならない。ブラック企業が横行する現代社会において、貧乏と呼ばれている人たちは身を粉にして働いている。その様な人たちにとって、努力する時間もなければ気力もない。
つまり現代人の多くは、時間と労力が圧倒的にかかる人的資本は当てにできずに、社会資本の活用しかないと私は思う。
社会資本とは、簡単に言い換えると人とのつながりである。
人間は、人とのつながりがある限り不幸になることはない。この例を体現している人たちがいる。それは、「山奥ニート」である。彼らは決して裕福な暮らしはしていないが、幸せに暮らしている。詳しくは以下の書籍にて。
つまり、貧乏人が幸せになる方法は、
「努力し成長する」か「人とのつながりを作り維持する」である。
それでは、どうやって「人とのつながりを作り維持する」のか。もちろん一番いいのは、恋人を作ることである。現代は、「マッチングアプリ」があるのでかなり楽になったが、毎日ヘトヘトになった社会人にとってはやる気力も起きないと思う。
したがって、私が提案できる方法は2つである。
1.今ある人間関係を大事にすること
人間関係は、基本的には定期的に合い続けない破綻してしまう。それは親子関係かて例外ではないと私は思う。連絡を取らなければ取らないほど、疎遠になってしまう。そして、疎遠だからこそ、連絡が取りづらくなり、また疎遠になる。そして、負のスパイラルが生まれる。
だからこそ、損得関係のない友人関係こそ定期的に連絡した方がいいと私は思う。自分の人生の変化が起きたときや、帰省するときにちょっと連絡してみてはいかがだろうか。もちろん、事情は誰にだってあるし、そんなの簡単にはいかないのは深く理解するが、このやり方をを批判しても答えなんてどこにもないだろう。
2.インターネットの力で簡単な繋がりを作って維持する
個人的に注意したいのは、掲示板の様な完全匿名性では繋がっても、繋がりを維持するのは難しいので、せめてアカウント性のSNSを使用すること。
加えてお勧めは、「ライブ配信を馬鹿にする人は、将来自分が馬鹿だったことに気づくだろう」でも紹介したが、ライブ配信者に対してお金を使うことである。
やはりお金を投げる事により、お金の関係が生まれ、投げないよりも確実につながりは深くなるだろう。そして、投げられた側も投げた側に確実に興味を持つ(もちろん配信者の規模による)。なので、無料に固執しない方がいいと私は思う。
もちろん、これが唯一の正解だとは思わないが、
現代社会において貧乏人が取れる有効な手法として、この2つの方法ぐらいしか思い浮かばない。もっといい方法があればぜひコメントで教えて頂きたい。
前提崩しにはなるが、貧乏にならないという手段もある。しかし、貧乏を抜け出すためには圧倒的な行動力が必要になると思う。ここで語るには長すぎるので、いつか機会があれば私なりにお金を稼ぐ方法について論じようと思う。
繰り返しになってしまうが、くれぐれも大事にしたいのは、人間関係を大事にするべきだと私は思う。しかしながら、この「人間関係」という題材は奥が深すぎる。この手の話題の本は、たくさん本が出ているので、ひとまずは私が論じる必要はないだろう。
私はまだまだ若いので、上記のアドバイスを自分に言い聞かせ、貧困に陥らない様に足掻き続けたいものである。
以上。
いかかがだったでしょうか。
私としては、貧乏であろうが幸せになれると思うし、貧乏なだけで他の人から哀れみの目で見られるのは礼儀知らずだと思います。
本文中でも触れましたが、もちろん本文中で上げた3つの要素全てがなくても貧困に陥らない人もいます。その様な人は、いわゆる「無我の境地」に達した悟った人間だけであり、少数派だと私は思います。
なので私たち凡人は、「人間関係を大事にする」以外選択肢はないと思います。
あなたは、貧乏でも幸せになる方法はなんだと思いますか?
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