習慣が続かないのは決してキミのせいなんかじゃない!!!
こんにちは!ぴこつです。
白状します。
ぼくのnoteは、ある時からかなり不定期な更新になってしまいました。
いや、だからと言って困る人もいなければ、別に待ってくれているような人もいないことは十分わかっているんです。
そうではなくて、自分自身のタスクとして自分が「やろう」と思ったことに対してどれだけの持続力があるか?といういことを分析した時、あることが結論として導き出されたよ!というお話です。
それこそ独りよがりなんだろうなとは思いつつも、ぼく自身が人生を送る上では死活問題なんですよねー・・・
で、冒頭のnoteの更新頻度について。
ぼくは相当な面倒くさがりだということは自負していて、たいていのことは続いていません。ただ、1ヶ月とかは割と続いたりするんです。
それがある時、病気だったり忙しかったり、あることが原因で途絶えてしまったりする。その結果、翌日には継続が途絶えてしまうことが多々あるんですね。
ぼくがやることってこのケースが多い。
『三日坊主』は少ないんだけど、1ヶ月ぐらい続いたことが突如途絶えてしまう。
もったいないな、とは思いながらも「なんでなんだろう?」て、いつも考えていました。
そんな中で、最近わかったことがあります。
続けている時は自分でも気が付かなかったんだけど・・・というか、自分だからこそわかんなかったんだろうな。自分が課したタスクって意外と「ハードルが高かった」のかもって。
やっている時は自覚がないんです。なんとなくやっているつもりだった。苦にせずやっていると「思い込んでいた」。
振り返ってみると、それにかけた時間は2〜3時間で、睡眠時間も削っていたりしたんですね。
だからかはわかんないですが、やめた途端に再開するのがしんどくなっちゃって。
「またあれを始めるのか・・・」と思ったらできなくなりました。
思い返すと、確かに自分は苦労はしてたなって。
「習慣」って、自分にとって当たり前のことなんだけど、習慣になるまでには“かなりの”年月を要していたりします。
たとえば歯磨きとかも、ぼくは子供の頃には歯磨きが嫌いで一瞬しか磨かなかったし(その結果は絶えず虫歯だらけ)、筋トレなんかも断念していました。
そんな中でも続いていることって何かな?って考えてみると、「めちゃくちゃ簡単なことから始めこと」だってことがわかりました。
たとえばこちらの例で言うとスクワットです。
始める時に「どうせ続かないだろうから」っていうことで10回から始めたんです。
ぶっちゃけ、最初から物足りませんでした。
なんだけど、自分自身の忍耐力を信じていないからこそ「これでいい」と言い聞かせて続けました。
ひたすらに“物足りない程度”のスクワットを続けて、スクワットという動作を自分の習慣にしていったんですね。
次第に、自分の生活リズムの中に「当たり前」のようにスクワットが組み込まれていった気がします。
朝起きて、トイレに行って、歯磨きをして、スクワットを10回する。
これが固まった段階でスクワット10回が物足りないというのは自覚していたので、回数を15回にしてみました。
「まだできそうだな」
そう思ったので、じゃあってことで翌週から20回にしてみました。
ちょっとだけキツイけど、これなら続けられそうだなって思いました。
次の週になると「ちょっとおまけ」と思いながら25回やる日もありました。
そこでのマインドは、
本当は20回のはずなんだから、25回もできた今日のオレはスゴい。
だからたとえ20回で終わっちゃった日も、それはそれで目標はちゃんと達成してるのでやっぱりスゴいんですよね。
・・・てな感じで。
本当に少しずつ少しずつ、自分でもびっくりするぐらいに少しずつ。
回数を引き上げて行きました。
今は「+5回ボーナス」を込みで35回を毎日続けています。
まだもうちょいイケそうな感じはするものの、朝の準備の時間とかやった後の疲れ具合の関係でこのぐらいでセーブしています。
一応のまとめ
長々とここまで書いてきましたが、ぼく自身のズボラで怠けた性格で何かを続けて習慣にしようと思ったら、このスクワットみたいに「とにかく物足りない」程度をコツコツ続けていくことが今のところの正解なんだろうな・・・という話でした。
読んでくれてありがとう。ではまた!!
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