私もアダルトチルドレンだった〜『世界が変わる!アダルトチルドレンの自己観測』を読んで〜
2019夏。
Twitterで仲良くしているなつのしんさんこと、なっちゃんが本を出す。
というので迷いなく購入した。
「仲が良いから」という理由はもちろんあったが、内容そのものが楽しみだった。
著書名にもあるようにアダルトチルドレンについて書かれた本。
私は本は苦手だが、アダルトチルドレンの本は何冊か読んでいた。
以前勤めていた支援員の職場では、担当した子があまりに何も言わない子だったので、行動や言動を分析、検索してアダルトチルドレンにたどり着いたからだ。
なので当初は、その子のことを考えて支援の糸口を見つけるための読書しかしていなかった。
今回、そんな対象は浮かべずこの本を読んだ。当然知っている内容もある。
読んですぐに、手が止まった。
【スケープゴート】いけにえ。トラブルや問題を起こすことで、自分が犠牲となって家族の問題を背負おうとします。非行や家庭内暴力に当てはまるケースです。
いけにえ…?
犠牲となって…?
そのとき、なんだか私のことを言われている気がしたのだ。
この本を手にしたとき、ちょうど親子関係に悩んでいた。
色んな悩みが複雑化した上で、親と上手くいっていなかった。
元々はすごく仲が良く、周りの友人にも「いい親だよね」「仲良いよね」と言われるくらいだし、私自身、兄弟も親を尊敬しているし、誰を家に呼んでも温かく出迎えてくれる自慢の親だった。
ただ、親も完璧ではない。
完璧ではないゆえの、親子の問題があった。
私の反抗期
私の反抗期を思い返す。
小学4年生から中学3年生までと、長い上に親のちょっとした発言にすぐキレる、イライラする。
「キモイ」「ウザい」など父に言い
「親をなんだと思ってるんだ、そこに座れ」
と返され反抗すると
「ここは俺の家だ、文句があるなら出て行け!」
と言われてしまいには
「うっせー!死ね!!」
なんて怒鳴って自分の部屋に行き、なぜここまでイライラするのかわからない自分に更にイライラしたり、泣いたりしていた。
母親は事なかれで済ませようとすることも多く、それに口出しをして「あなたの言ってることは正しいけど、厳しい」なんて言われていた。
親子関係にズレが生まれた
反抗期が終わってからは歳を重ねるにつれ、仲良く穏やかに過ごすことが増えたが、ここ数ヶ月は違った。
私には、引きこもりの弟がおり、なぜ彼が働けないのかずっと原因を探していた。そしてそれは、親の問題も必ずあると思って家の中をずっと観察していた。
支援員のときも、親子で暮らしている場合は本人だけでなく親もなにかしら問題を抱えており、それが解決すると本人も元気になるのを間近で見たからだ。
そして、私の中でこれは(弟に)良くないと思うことがあれば親に指摘した。
例えば「これはダメだよ」と母が言っていれば
「ダメって言葉は強いんだよ。ダメなことなんてないし、これは〜だからそっちの方がいいけど、ダメではないんだよ。」
なんて話した。
そしたら返ってきた言葉は
「怖い」
え?怒ってもいないのに?
悲しくなった。
私が感情的であろうがなかろうが、指摘すれば毎回「怖い」と返された。
弟本人にも言うことは言っていた。
約束したことを破ったら、そのことについて指摘しようとするだけで怒鳴られた。
触らぬ神に祟りなし、状態。
触れなければ何事も起きないけど、私が我慢するのもおかしな話だったので指摘しようとする、怒鳴りだす、親は「仕方ないでしょ」と言う。
(仕方ない、で現状維持してたら、延々とこのループじゃないの?)
そう思いながら、それ以上何もできない不甲斐なさと悲しさでいっぱいになった。
私が黙っていれば弟も怒鳴らない、親も怖い気持ちにならない。
家の常識が理解できない私
私は昔から縛られるのが苦手で、理由のないルールが嫌いだった。
とは言っても子どものときの家のルールは「21時には寝る→寝るのが大切な時期だから(どうしてものときは譲歩してくれる)」「ゲームは2時間まで→目が悪くなるから」など、私的に納得していたので何もなかった。
でも、大人になってから上手くいかないことが増えた。
わかりやすかったのは帰宅時間の話。
大学で一人暮らしした後、実家に戻った私。友達と食事すれば、当然のように深夜0時頃に家に帰ったりした。
玄関を開けた瞬間、仁王立ちの父親。
「こんな遅くまで危ないだろ!」
「え、移動は車だしお店だから何が危ないのかわかんないんだけど」
「車だろうが、夜は危ない奴が多いんだ」
「???」「意味わかんない、私もう大人だから、ほっといてよ!」
(0時だろうが20時だろうが仮にストーカーとかいたら変わらなくない?)
そんな会話をしてしょっちゅう夜中に帰っていたら親も諦めて寝るようになった。
それと似たような価値観の違い。
Twitterで知り合った人と会いに行く私を親は段々奇異的な目で見るようになった。
「信頼できる人としか会っていない」なんて言っても親は想像できないようで、言葉で伝えても納得しないのに、もらった名刺を渡して調べたら態度が変わって、自分は信頼されてないなと、悲しくなったりもした。
つまり私は親の安心できる世界の範囲外に飛び出て、不安にさせるんだな。
そんな風に思った。
家の中の自分
私ってこの家のトラブルメーカーだ。
そう思っていた。
だから『いけにえ』という言葉にグサリと刺されたような気持ちになった。
わかりやすく学生時代に髪を染めたり、学校に行かなかったりなんてこともないし、特別優等生でもない、色んな意味で平均的なので良くも悪くも目立たない子だった。特徴の1つとされる「非行」もしていない。
ただ、家の中では時々孤独を感じていた。
大好きで自慢の家族だけど、私だけ理解できない、私だけ受け入れられない、と思うモノがあったからだ。
(私が1番怖いんだよね、私はいい子じゃなくてごめん。親不孝だな。)
反抗期のときによく思っていたことを、この数ヶ月も感じていた。
怖いと言われる度に「私は怖いのだ」と認知しなきゃいけないようで、悲しかった。
私がなんて言おうと、周りの友人がどう見ようと、親が「怖い」と思う事実は変わらない。
けど私は弟にとって良くないことは良くないと言いたいし、誰かが言わなきゃ現状維持のまま、事なかれ主義で何も変わらないことの方が怖いと思っていた。
それでも、悲しかった。
そんなときに見た「いけにえ」の文字。
そっか、私、そういう役割だったのかも。
なんか腑に落ちた。
支援員のときもそうだったが、問題が起きなければ変化はなかなかない。
トラブルは、何もないよりいいことなのだ。
元々そう思っていたから、自分は変化を起こすためにいたのかもなって思うと楽になった。
私が孤独を感じていたのは親のせいでも、私のせいでもなく、役割だったんだな、と思えた。
愛情深い家庭=アダルトチルドレンではない
というのは思い込みだった。
純粋に、人は環境によって自然と役割を担うだけなんだな、と。
すでに実家を出ることは決めていた。
このタイミングでこの本に出会って、楽になった。なっちゃん、ありがとう。
「親不孝だな」思考はもうやめた。
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