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コトの葉を集める

Amazonプライムに表示される「prime 見放題が終了するTV番組」

その中から何気なく選んだ『舟を編む』というアニメ。出版社に勤める馬締光也(まじめみつや)が辞書編集部で新たな辞書『大渡海』作りをする物語。


ストーリーの冒頭で、辞書は意味を正確に記すものなのに人が作るものだから不完全でもあるという話が出る。
あぁ確かに。私が子どもの頃、わからない言葉は辞書を調べれば正確にわかると思っていたけど、本当は正確かどうかなんて誰もわからない不確かなものだったのか。となると、この世に完全なものなんて何ひとつないんだ。
と、まるで当たり前のようなことを改めて知った気がした。


※ちなみに『舟を編む』の1話はプライムでは既に見れない。涙
映画ver.はまだ見れる。あと本もあり買いたい↓。



人と人が繋がるためのツールが言葉

最近、相手のことを理解することは「相手の言語を知ること」なんじゃないかと思っている。
ドラマでもアニメでも小説でも、物語を見ていると同じ言葉でも違う意味で使われたりする。もっと言えば、同じ物語でも人物によって、場面によって意味が変わる。
例えば「悲しい」と言ったとして「孤独感で寂しい」悲しさだったり「失敗して情けない」悲しさだったり、同じ「悲しい」でもカラーが違う。

私の認識した「悲しい」が仮に青でも、相手の「悲しい」は黒だったりする。そういう、相手の言葉の意味やカラーを感じて、自分の中に辞書のように蓄積できれば、自分と相手の共通言語が増えていく。分かり合えないのは言語が違うから、その言葉の意味がインストールされていないから。

そして当然、自分で作る辞書は不完全なので、自分と相手の言語が完璧に一致することはない。
それでも、相手に近しい意味、近しいカラーの面積が増えれば増えるほど「分かり合えた」と感じるような気がする。

もしも外国人と言葉でしかやり取りができないのなら、英語を知らないと始まらない。相手の言語を知ることは、相手を知ろうとすることなのだと思う。


私はSNSで発信するようになってから特に「美しい」「愛する」といった言葉を多用しにくいと感じ始めた。それは、日本語の硬くて柔らかい繊細さを、透き通るような言葉の世界観を壊したくなくて、薄っぺらい言葉にしたくなくて、綺麗な言葉ほど大切に使いたくなった。

しかしこの作品の中で「言葉を愛しているんですね」というセリフの表現や『舟を編む』というタイトルそのものが、美しいという以外に適切な言葉が浮かばない。

「言葉を愛する」という響きはなんとも美しくて繊細そうな、やさしい言葉だろう。私も言葉を愛する人になりたいなぁなんて思う。


葉という花

私は、本棚いっぱいに本が並ぶ読書好きの両親の元で育ったが、読書に興味がなく、夏休みの読書感想文も3年間同じ作品で書くくらいの人間だった。英語は苦手、カタカナや難しい漢字ばかり並ぶ文章は読む気が失せる(なぜか国語の成績はよかったが)。
なので当然語彙力がある方でもなく、自分の選ぶ言葉は稚拙だなぁと思うことも多い。

でも、ふと出逢った音の世界の話が面白く、言霊、音霊を学んだら言葉(言の葉)って感じるものなのかもなとも思った。


例えば「は」は葉、派、歯、刃、破…
日本語は一音多義といい、一音に色んな意味を持っている。そういう音の葉っぱを集めて組み合わせたのが言葉なのだ。

「編む」で言えば「あ」は、人はアイディアが浮かぶと「あっ」と上を見上げる、空のことを「天(あま)」と言う、あるかどうかもわからない世界を「あの世」と言う。新しい朝、夜が明けるなど、上や新しい何かに「あ」はつく。
「む」は結ぶ、剥く。どちらもあるものから何かを生み出す。夢、無。存在しないのに表現にはいる。無(ない)と言う時点で、言葉には存在する。ないのはあるような、ないものをあることにするような不思議な音。(どちらも超簡単に端折ってます)

合わせて「あむ」。「新しく結ぶ」とか、今出た単語を組み合わせるだけで一体何通りの解釈が生まれるだろう。
個人的に「む」は掴みにくい音で、だから美しく感じるのかなと思う。編む以外に、紡ぐ、結ぶ、無垢。

「編む」ってなんだ?に明確な答えがあるよりも、マインドマップみたいに色んなイメージがある方が言語を知り、世界がやさしくなる気がする。

知識を得ることは同時にわからないことを知ることである。と、どこかで聞いた気がする。世界を知れば知るほど、自分は何も知らないんだと思う感覚。学べば学ぶほど、学んだことを疑う。全てが不確かで、その中の何かを確かだと信じるしかない。

この世は目に見えないものが97%くらいというが、たった3%を信じるよりきっと、97%の中の何かを取捨選択して信じるしかなくて。


言葉は武器だと思う。葉はまさに刃物になる。
誰かを守る刃にも、傷つける刃にもなり得る。
誰かを守る刃は同時に、誰かを傷つける刃になる。
誰かを特別扱いすることは、それ以外に目を向けないことにもなる。

ただ、存在するだけの言葉は花のように感じる。
バラのトゲも見つめるだけなら痛そうとも美しいとも、儚いとも、自由に感じることができる。
雑草は誰にも気づかれず路地裏で咲くこともできる。
その存在に、時に希望や光を感じるのが花であり、言葉であってほしい。


せっかく学んだ言葉の力、辞書みたいに紡いだら花になるのかなぁと思った。


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