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私がおじさんになったら

私は30代半ばの日本人女性。体型は10代からほとんど変わらず小柄街道まっしぐらを貫いています。

今に至るまで華奢な私は女性服の中でもSサイズの可愛げなものしか体に合わず、スーツやセーラー服など、ぴったりはまった他人のユニフォームに思いを馳せています。

生まれ変わったら「おじさん」になりたい。

しかし、父ではない。身近なおじさんと言えば父だが、私の見方でのおじさんと父は同じ年齢の男でも異なるようだ。

娘や奥さんに加齢臭を指摘されてもいいし、年齢とともにトイレが近くなってもいい。青年やボーイズではなく、おじさんになりたい理由は「イケオジファッション」たるものを楽しめるから。

一つ上げるなら、一張羅と呼べるようなテーラーメイドのスーツスタイル。

パリッとしたシャツに、仕立てた上下に、畳んだ白いハンカチを胸ポケットから出したような粋なスタイルで社交界のような特別な場に踊り出る。時代は今、もっとカジュアルな装いでいいのかもしれないけれど。


父は、私の幼少時代は始発とともに家を出て夜は終電近くまで飲み会という典型的なサラリーマン生活。私が社会人になると、長らく務めた会社をリタイアし、今も責任職として働き続けているが、時代も相まってカジュアルな装いに着地している。

この父の日に誘ったホテルという空間コードに着て現れた柔らかいアロハ(風)シャツは今の定番らしい。横浜という環境には、まあちょうどよく溶け込める。

今はボディポジティブの時代。もし私がおじさんになれるなら、無駄なダイエットはせず、センスで体型をカバーする形で解決し、自分に合う形でトレンディに着こなすつもり。

結論は、私が父の立場なら、一張羅がほしい。

スーツ出社時代から装いはほぼ母任せで、私の前では部屋着かアロハばかりの父に一張羅のような服を持った経験はあるのだろうか。この次の時は正面切って聞いてみよう。

私の意識がメンズのファッションに傾いたのは10代が終る頃くらいだ。私の中高はセーラー服の女子校だった。時代は進み、パンツスーツとセーラー服が通学しているのを感慨深く眺めている。

ボーイッシュだった私の同級生たちにもきっとあのパンツが似合っただろう。そんな選択肢がなかったから、あの頃の私たちは制約がある中で工夫し、風紀に厳しい先生と対峙していた。

これから大人になる女子には自分達よりもっとやんちゃに、自由に、男性性を謳歌することにもチャレンジできる時代だと伝えたい。

「レディース アンド ジェントルマン」という読み上げすら改められる今の時代、人の数だけファッションは多様である。
今は街でおしゃれを謳歌するおじいさんおばあさんを眺めながら、自分の父や母にもその姿をなぞってほしいと思う。

また、ファッション批判を眺めて「おじさん」「おばさん」と呼ばれることに嫌悪を感じる方にも前向きなエールをしたい。

誰か一人が描いた「年齢等身大」のイメージを批判する時間があれば、どうか自分が一番好きだと思う装いを楽しむ気持ちを末永く忘れないでいてください。

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