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【感情紀行記】パッチ

 書き出しが思いつかない。数日間。いや、数週間、気を病みに病ませていた。浮世離れしたような感覚であって、何も手付かずであった。様々なことを自らの身に仕掛けてみたが、効果はほどほど。日常のとっかかりにも引っかからずにいた。

 社会との交信を徐々に狭め、隔絶しかけていたものの、社会性を保つために事前に組み立ていた予定は淡々とこなして行った。この夏の大型行事の一つであった西方遠征は、小慣れたものの、様々な問題を孕んでいた。問題を詳らかにして何か語るつもりはないが、問題の根幹たるものを直視しに行くようなものであった。これが最後の西方遠征と思うくらいには覚悟を決めて進んで行った。慣れたはずの到着直前には体が不調を期すようなところまでは容態が悪化していた。

 慰安旅行と化した旅行であったが、日常を淡々とこなせることに多少の喜びを感じていた。「半分日常」を過ごすことによって、心は少々の回復を見せた。もちろん様々な気を揉む事件はあったものの、後から見れば大した問題ではない。そんな気の病みを晴らすようなことが幾つか重なり、快方へと向かった。近くにいた親友にはその気の病みというものを移してしまったような気もしたが。

 とにかく、特筆して書くことや、書き記したいことというのが多々あるわけではないのが今回の喜びなのである。最早、何もかも新鮮で、一挙手一投足を目に焼き付けなければならないという特別なものではなくなったのである。一見悲しくも見えるが、正常な関係であり、日常に組み込まれた、より大切な関係に昇華したと言える。足らないところや、人と人を補完する、そんな大切なパッチを当てて、当てられた。人が在るところに、社会がある。社会で起きる様々な関係や珍道中はまだまだ終わらない。

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