見出し画像

【感情紀行記】欺瞞

 民主主義の国、日本では、どの地域にも選出される政治家というものがいる。そんな政治家達のことは、日々流れゆく、枚挙にいとまが無いニュースの中に映る、旬の政治家を調べていくうちに詳しくなっていった。

 最近は、自分がどこにいるのかというのを街に貼られているポスターでわかるようになったくらいだ。そんな街の中で違和感を感じさせ、目線を惹きつける大きな顔の笑みは、考えさせられるものがある。その政治家が見てほしい自分を、最大限詰め込んだ一枚の紙にはどのくらいの人がどのように感じているのだろうか。時々、政治不信と言われる言葉が聞かれるが、そんな政治不信は一枚の紙と時たま報道されるニュースの中との差から起きるのではなかろうか。

 しかし、自分のイメージカラーや名前が、満面の笑み共に町中に貼られているのは、どのような感覚なのだろうか。疲れて歩いている顔を見て不信感を抱かれたり、買い物をしても買い物の内容を誰かに知られているのでは無いだろうかというのは、政治家自身怖くならないのだろうか。

 そんな他人への心配事は傍に、再びポスターへと目を落とすと、その地域や街並みに根ざした政治家の活動や、伝えたいことが意外と多くある。そのような言葉というのは誰が考えているのだろうか。面白おかしいものから、仰々しいものまで様々ある。キャッチコピー的なものを自分で持っておくのは便利そうである。以前、変な政治家候補者が増えているから、結婚したいから出馬するというのはどうか、と進言したことがある。その際に、その方におすすめしたキャッチコピーは、「公約から婚約へ」であった。我ながらわかりやすく、ダメな候補者を表している一方で、一見まともな難しいことを言ってそうで、センスが良いのではないかと思っている。

 さて、普段から使えそうなキャッチコピーに関しては、「鬼才」とかはだと引かれそうだし、「改革」とかは場違いすぎる。「〇〇を前へ!」とかはほどほどに政治家ニュアンスをもって使えそうだ。「無駄な昼寝を削減」とか、「危険から身を守る」は自己的すぎるだろうか。「今日から明日へ」とか言う、当たり前のことを述べるのも良いのかも知れない。政治家たるもの公約を守るべし。そうは思うが、自分は、自分への公約一つでさえも、守れるのか不安である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?