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大好きなお茶が飲めなくなった話。  人生から大好きが消えていく話。

緑茶、烏龍茶、紅茶、はたまたトウキビ茶やそば茶、他にもたくさんの種類があるお茶。健康にもとても良くて、一時期は抹茶ブームでたくさんの商品がコンビニやお菓子屋さんに並びましたよね。

私はそんなお茶が小さな頃から大好きで、親戚達からも「あなたといえばお茶」という印象を持たれるほど大好きでした。コンビニへ行けば必ずお茶を買い、友人と少し遠出して世界のお茶の祭典というイベントへ行き、たくさんのお茶を堪能する、そんなお茶人生を歩んできました。


ですが今は過去形です。飲めなくなってしまったんです。お茶。

自分で買ってきた大好きな茶葉、それをいつものように飲んでいました。ですが、たった一杯、それだけで、私は呼吸困難になったんです。

頭はぼーっとし、首を内側から締められているような感覚。咳き込むことをやめられず、自分は死ぬのか、本気でそう考えました。

幸いなことに死ぬことはなく、しばらく咳き込むと私は落ち着きました。ですが、落ち着いた後も私は自分が信じられませんでした。

お茶です。飲み物の中で真っ先に選び、好きなだけ飲み、大人になってからは茶葉を買い、煎れて楽しむという趣味を見いだせたお茶だったんです。大好きなんです。

その後も私は、あんな怖い体験をしたにも関わらず私は何度かお茶を試しました。ですがだめでした。何を飲んでも、どれだけ薄めても、大なり小なり似た反応がおこる。インターネットで色々な情報を調べました。そこで茶葉アレルギーという存在を知りました。

それでも信じたくなくて。色々試して、でもやっぱりだめで。何度目かでやっと、私は自分が茶葉アレルギーという体質になってしまったんだと受け入れることができました。受け入れるしかありませんでした。命が惜しいから。


大好きなものが体感できなくなる。そんなことが自分の人生で、こんな形で起こってしまったことに、今でも動揺しています。お茶という人が生きる上では関わりがなくても、飲まなくても生きていけるもの。大好きな人が死ぬなんていう悲劇などと比べてしまえば、たいしたことない事。

だけど、大好きなんです。幼い頃から私を表す一つの要素が消えてしまったんです。命に比べれば大したことなんて無い、けど命を引き合いに出さなければ納得出来ないくらい大好きなものでした。

大好きなお茶が飲めなくなった話はこれで終わり。人生から大好きなものが消えていく話でもありました。正直、客観的に見れば死なず、飲まなければ問題ない、そんなことだと思います。

この先、私の人生に大好きだったお茶は「大好きだったもの」として過去形となり消えていきます。消していきます。辛いので。悲しいので。

これは逃げかもしれません。諦めるべきじゃないかもしれません。どうしよもないことじゃないかもしれません。

もしかしたら治るものかもしれません。

ですが、現状「わからないもの」なんです。私にとって未来が見いだせない大好きなものになってしまったんです。

大好きを消していく。これが今の私の一つの選択。

「大好きなお茶が飲めなくなった話。人生から大好きが消えていく話。」

ご覧いただきありがとうございました。


もし皆さんが今、大好きを消すか、これからも掴んでいくか決めかねていたのなら。これは私、とりかわの人生の選択例です。とりかわの人生の与太話です。参考にしてはいけません。自分の気持に正直に、生きてください。

もし私に出来ない選択で、大好きを取り戻せたなら。是非この終わらせようとしているとりかわに教えて下さい。それは私にとっても、もしかしたら誰かにとっても、

未来への希望の話になりえますから。

2020年9月18日

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