劇的対話=キャッチボール→テニス
芝居は言葉と言葉のキャッチボールだ」という指導者や演出の声はよく聞くが、半分正しくもあり、間違いでもある。と、演出・演技講師の立場からして思う。
演技者のレベルに合わせて、基礎から実践までの過程でキャッチボール→テニスに持っていく必要がある。
それは、観客としてはキャッチボールのウォーミングアップよりもテニスの白熱した試合の方が脳内アドレナリンが上がる。エビデンスとメタ分析に基づいた実証より観客の感情を動かすための仕掛けを盛り込まなければならない。
この結果、初めて観客が自発的な体験をする事で、体験が記憶に定着する。より観劇体験の満足度(ポジティブ・ネガティブどのような情感が湧くにしても)に影響が出る。
演出者としては、この辺りの演技者のエネルギーを見定め、作品、人物のドラマをどう作るか(どのような試合にするか)という作戦(演出プラン)を構想し、稽古場で役者と実験していくわけです。
舞台上で人間同士の対話を成立させるために、役者はキャッチボール→テニスというプロセスを持って(演技プラン=知識)訓練(身体行動)をし、役として生きなければ嘘になる。
演技の基礎を学ぶ段階としては、まずはキャッチボールから始める。ボールを投げる時の身体の使い方、力加減、イメージなど自分の身体的特徴(クセ)を自覚する事から始まる。
それから日常の言葉を交わしていき、台詞への意識をとにかく身体的に取り込む。
役者として身体的基礎を持ちはじめると「他者」に近づくためのシーンワークを行う。そこから舞台公演という段階になるわけです。ただし、基礎的な身体訓練はプロの俳優でありたいのであれば、どれだけ年齢と経験を重ねても日常的に育む必要はある。世界記録を待つイチロー選手だって毎日素振りしていたのだから。
稽古までの準備期間と稽古場での実験を繰り返し、役を「反応」→「反射」=意識→無意識の段階まで持っていく。
実際のテニスの試合もそう。相手から点を取るために、いちいち長考していては点を奪えない。来た玉を「どうやったら点を取れるか」というプロセスは技術と経験を積んだ身体が、一瞬のうちに勝手に反応していて、考えずとも点を取れるようなボールを相手に打ち返しているのだ。
やはり、そのような役者の会話を見ていると脳内アドレナリンが分泌し目の前にある出来事が観客の思考と心情を動かす体験になるからこそ、心いつまでも心に残りやすいのだ。
実際に前頭葉を使うと、思考(観客の意見)と心情が動くほど長期記憶に定着しやすいというエビデンス(科学的根拠)ある。
芝居の上で役同士の一瞬の出来事であっても、永遠に記憶として残すためにはキャッチボールよりもテニスが効果的だと思うのです。
ただし、テニスの試合で勝つためには、基礎のキャッチボールが出来ないと成立しないということ。
スポーツ業界では当たり前のこの事が、なぜ演劇業界、特に役者に浸透していないのか。この日本的役者マインドが希少性としてはいいところでもあり、世界水準で言えばレベルが劣るところでもあるという真実が歯痒い。