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夕日とランボーの「永遠」〜ケントの懐かしい日々〜

おはようございます!
三春町のシェアハウス“古民家”で暮らすケントです。


お盆やすみ
久しぶりにひとりでドライブへ行った

帰り道、羽鳥湖近くで
空気が、この世界のすべてが
オレンジ色に染まるような
マジックアワーを体感した

日没を見るたび、思い出す詩がある

とうとう見つかったよ。
なにがさ?永遠というもの。
没陽といっしょに、
去ってしまった海のことだ。

みつめている魂よ。
炎の中の昼と
一物ももたぬ夜との
告白をしようではないか。

人間らしい祈願や
ありふれた衝動で、
たちまち、われを忘れて
君は、どこかへ飛び去る・・・。

夢にも、希望などではない。
よろこびからでもない。
忍耐づよい勉学・・・。
だが、天罰は、覿面(てきめん)だ。

一すじの情熱から、
繻子(しゅす)の燠火(おきび)は
“あっ、とうとう”とも言わずに、
燃え尽きて、消えてゆくのだ。

とうとう見つかったよ。
なにがさ?永遠というもの。
没陽といっしょに、
去ってしまった海のことだ。

「永遠」
アルチュール・ランボー『地獄の季節』より
翻訳:金子光晴

正直、この詩の意味は
わかるようでわからない

だけど、日没を見るたび、この詩を思い出す

胸の奥がチリチリするような
落ち着いていられない感覚
悲しみのような感覚

これは焦燥感なのだろうか?

“あっ、とうとう”とも言わずに、
燃え尽きて、消えてゆくのだ。

太陽が没っするその前に…

後日、この話を同居人の一人、I君にしたら
「太陽は明日の朝になれば、またのぼってくるでしょ!?」
と笑われてしまった
(深刻にとらえるなと言いたかったのかもしれない)

この日没を見てから
ランボーと中原中也を読み返している
藤井風もそうだけど、詩(歌詞)を書く人の
感性のすごさに圧倒されている


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